川向こうからの参道の痕跡〔2484〕2010/02/02
2010年2月2日(火)晴れ!
昨日、物部川西岸の堤防上から、上岡八幡宮と渡し船についてお話しました。で、今朝は上岡八幡宮の方から西方面を眺めてみちょります。
この八幡様は、南南東に参道入り口の鳥居があり、北北西に歩くと拝殿へ上る石段になります。その石段の途中から左手へまわると、拝殿の西側の、こんな場所へと出ます。堤防へとゆるやかに下っていく径がありますね。
ここには、傾いてしもうた大きな燈籠とか、足の部分だけ残して折れてしもうちゅう鳥居の痕跡とかがあります。
燈籠を見ると明治8年と刻まれちょりますきに、参道の方の文化文政とか天保とかに比べるとずっと新しい年代に寄進されたもの。それが何故、傾いたり折れたりしたまんまで放置されちゅうがか。
そんなことを考えよって突然わかりました。全部わかりました。
昨日、物部川西岸の氏子さん達が、この上岡の八幡様へお参りするがに渡し船を利用しよった、ということを書きました。そう。この、少々荒れた感じの径は、物部川に渡し船があった頃、西岸の氏子さんたちがお参りする参道やった訳です。間違いないですな。
西岸の集落から舟で渡ってきた氏子さん達は、河原から堤防を上がり、燈籠や鳥居が並ぶこの参道を通ってお参りしよった訳です。なるほど。
車社会になり、物部川に大きな橋ができて渡し船が無いなってから、この参道は利用されることがないなったということでしょう。で、毀れても修理する必要性も感じられず、そのまま放置されてきたがにかありません。
夜明け前の、少しかけ始めた美しいお月様を眺めながら、そんな簡単なことに今まで気付かんかった迂闊さを思い、新しい発見をした喜びに浸ったのでありました。