十三渡し、十三橋、往来安全〔2485〕2010/02/03
2010年2月3日(水)晴れてまんがな
てな訳で今朝は大阪。昨日の午後の飛行機で東京へ飛び、夜の新幹線で大阪までやって来てまんがな。で、今朝は淀川界隈をたつくりに行っちょりました。
ここは阪急の中津駅の北、淀川の堤防。阪急の電車がひっきりなし、ホントにひっきりなしに往き来する鉄橋の西。
左手の大きな大きな燈籠には「往来安全」と大きな文字が刻みつけられ、伊丹へ二里半とか池田へ四里とか、ここを通る街道の情報が刻まれちょります。
この橋は十三(じゅうそう)橋。昨日、物部川の渡しの話をしましたが、実はここにも渡しがあったそうです。
現在の十三橋の北詰西側に、渡し跡がありました。大阪から西へ向かう中国街道は、ここで淀川を渡るために渡しがあり、舟待ちのお客さんでこぢゃんと賑わいよったとか。その渡しは十三(じゅうそう)渡しというたそうですが、明治11年に最初の十三橋が架橋された際に無いなったそうです。そんな時代にそんな長い橋が架けられたがか、と思うたら違いました。当時の川幅は今の3分の1くらいで、現在の淀川の南半分以上は南岸の陸地。北岸の渡しの場所は残っちょりますが、南岸の渡しは現在は川の中、ということですな。
淀川が大改修されて広うなったがは明治42年。その際に、ここに大きな橋が架けられたがでしょうか。この燈籠が建立されたがは大正9年ですきに、まだ大改修の余韻が残っちょったでしょう。その新しい道の道しるべと安全祈願として建てられたがでしょう。
現在のこの橋が架けられたがは昭和6年。それまではどんな橋やったがでしょうね。。