夜明け前の大津で古いお墓について考える〔2448〕2009/12/28
2009年12月28日(月)快晴!
今朝は晴れちょりますが、昨晩降ったおかげでヌクい朝になりました。天気予報をみると、お正月にかけて結構冷え込むみたいでございます。元旦の高知の予想最低気温はマイナスの2℃。シビコオル、素晴らしい元旦になりそうな気配です。
さて、ここは今朝の大津。向こうの明るい所が、領石通りの電停。その向こうに大津城趾の山が見えよります。てっぺんに古城八幡が鎮座しちょりますので、お正月に向けて、幟やら輪っかやらが準備されちょりました。地元の皆さんの初詣で賑わうがでしょう。
あの山の南側、高天原山界隈には、たくさんの古墳がある話はビッシリしました。古墳と言えば今朝のニュース。あの三国志の英雄、曹操の陵墓が発見されたという大ニュースが今朝の朝刊に載っちょりました。これ、すごいニュースやと思います。曹操と言えば、三国志演義では劉備のライバルで悪役になっちょりますが、実際は、当時にあっては最も優れた人物やと言われます。政治家であり、武将であり、そしてあの時代を代表する詩人でもありました。優れた文学作品が少ない三国時代、曹操、曹植が、その時代を代表する文学者なのであります。曹操の生涯を見ると、その能力の高さが突出しちゅうことがよくわかりますよね。
で、そのお墓がどこにあるがかは、諸説紛々で決定的な説はありませんでした。元々の出身地は、現在の安徽省ハク州市。何とひまわり太郎、2回も行ったことがあります。高知県中村市(現四万十市)が、そのハク州市と姉妹都市になる、ということで、その調印の使節団の一員に入れてもろうたがが1回目。そして10年後、姉妹都市提携10周年の使節団にも入れてもらい、行って来たのであります。その2回目の時、曹操一族のお墓がある公園やら城壁やらを見学しました。曹操本人の陵墓はみつかっていない、てなお話やったですね。
それが今回。見つかったがは河南省の安陽。かなりの証拠物件があり、遺骨も発見されちゅうというので驚きですよね。
中国のすごいところは、このようなすごい歴史上の人物本人の遺骨、墓が発見されたりすること。日本ではまだ卑弥呼の時代ですき、驚きです。
昔、長沙の馬王堆漢墓で、肌の弾力が残っちゅう、生けるが如しの遺体が発見されたことを思い出します。今から2000年前、弥生時代の頃のお墓ですけんど、中国では文化文明が発達しちょって記録も残りまくり、どの人物のお墓か特定できちょったがに感心しました。中国恐るべし。