バーガ森の弥生遺跡を考える〔2426〕2009/12/06
2009年12月6日(日)快晴!
12月とは思えん、暖かい良いお天気が続きます。今日は土電の電車がどこまで乗っても100円デー。毎月第一日曜日は、どこまで乗っても100円。で、今朝は家の近くの宝永町から伊野の終点まで乗りました。伊野の停留所のしゅっと西に、神社の石段があり、駆け上ると琴平神社。鳥居や玉垣には、地元の紙メーカーさんの名前がずらりと並び、お宮さんの下には伊野の紙工業に功労のあった方々の顕彰碑が並びます。藩政期から紙の町として栄えた伊野の、その豊かさが偲ばれる琴平神社。カミのカミ様でもあったがでしょうか。
伊野の町の東から南へ走るとバーガ森。2008年4月30日にもご紹介しました。この山の北斜面には弥生中期の集落遺跡があります。写真はたぶんその中の一つで、今は小さな拝殿がつくられちょります。
しかし何故、こんな北斜面に住居をつくったがでしょう。この眼下に広がる宇治川沿いの肥沃な土地で、稲作とかをやりよったものと思われます。が、この暖かいとはいえ12月の山の北斜面は、なかなか冷やいです。こっからバーガ森を越えた南斜面はこぢゃんと陽当たりも良く、現在も棚田や畑の広がる地域。そこに住まんづくに、ここに住んだのは何故か。
敵対する部族が攻めてくるがへの対策やったがかも知れません。が、今朝走ってみて感じたのは、夏場の住居やったがやないろうか、という妄想。宇治川は、結構氾濫した河川のようです。ですきに、大雨の降りやすい夏場、涼しゅうて安全なこの北斜面で生活し、大雨の心配の無い、ちょっと寒い季節になってくると、宇治川沿いの農作業のしやすい場所に住んだがかも知れません。
バーガ森トンネルを南へ抜け、戦国時代初期に創建されたという池ノ内天満宮にお参りして、針木峠を越え、高知市内方面にモンて来ました。始めてのコースは楽しいですな。