筆山から大高坂山を臨む〔242〕2003/12/14
2003年12月14日(日)ド快晴!
今日は見事に快晴。素晴らしい日曜日です。浮かれて鏡川界隈から筆山(ひつざん)を攻め登って来ました。本当に気持ちいいっすよ、冬の晴れた朝は。
筆山は、五台山方面から観た時に筆を寝かせたような姿に見えるのでその名前がついたものと、ひまわり太郎は推測しちょります。にっこりひまわり[6]をご覧になって下さい。
この山、その昔は「潮江山」と呼ばれよりました。潮江天満宮の背後に控える鎮守の山ですね。前に鏡川の清流が流れ、とても美しい山です。
南北朝時代、土佐の南朝方の総帥「大高坂松王丸」は、写真中央部の小高い山、現在高知城が聳える「大高坂山」を本拠として、北朝方の猛攻を堪えしのいでおりました。北朝総帥足利尊氏は、一族の細川顕氏、皇海兄弟を土佐に派遣、土佐へ下った後醍醐天皇の子花園宮満良親王や大高坂松王丸に戦いを挑みます。
そして、北朝方は徐々に包囲を狭め、この潮江山などから大高坂山を狙います。この潮江山で大規模な合戦が行われ、北朝が勝利をおさめて大高坂山へ攻め込み、遂に大高坂は落城、土佐の南北朝動乱は収束に向かっていったのであります。
山から眺めてみますと、その昔この潮江山から大高坂をうかがった細川勢の気分が何となくわかったような気になりますね。