城八幡考〔2416〕2009/11/26
2009年11月26日(木)晴れ!
今日もご覧のように良いお天気。写真の下部、ちょっと見にくいですが、黄色いコンテナが並べられ、お百姓さんがどっしこ集まって作業をしりょします。生姜の収穫ですね。暖かい青空の下、活気に溢れる光景でした。
昨日のにっこりで、立田土居城の城八幡をご紹介しました。で、その北東の方角に立田甚左衛門さんの立田城があった、というお話をしました。今朝はその界隈をたつくってみましたが、どの祠が城八幡か、よう特定せんかったがです。写真右下の真新しい祠がそうながかも知れません。
この周辺のホノギ名は堀ノ内ですきに、城館の中心部がこの辺にあったことがわかります。
ところで、このにっこりひまわりでは、城八幡という単語をしょっちゅう使うてきました。高知県内の各所にある城跡をご紹介する場合、「今は城八幡だけが残されちょります」という表現をビッシリ使います。歴史事典みたいながにも、そう書かれちゅう場合が多いですな。ところが。
この城八幡という用語、どうやら高知だけの独特の呼び方にかありません。高知では、戦国の昔に土地の豪族が本拠としちょった城跡がどっしこあります。そして、廃城になった後も、その中心部に武人の神様である八幡様をお祀りして、八幡様として残されちゅうケースがかなり多いのであります。高知では、そんな祠を城八幡と呼びます。ですきに、高知県中に、かなりの軒数の城八幡があります。
調べてみますと、県外では城八幡とかいう呼び名は無い模様。お城の在った場所に祠を建てるという風習が高知独特という訳ぢゃあないと思います。それを一律に城八幡として尊崇する、という風習が高知独特ながでしょうか。ご存じの方、いらっしゃいましたらご教示ください。