立田土居城の城八幡、徳弘氏〔2415〕2009/11/25
2009年11月25日(水)晴れ!
今日は晴れまして、日中の気温も暑いくらいに上がっちょります。車も、窓を開けて走らんといけません。
ここは土佐くろしお鉄道ごめんなはり線の立田駅前。ひまわり乳業に一番近い駅で、こっから歩いて15分。駅は高架になっちょりまして、時折到着する汽車から、一人二人と乗客が降りてくるだけの静かな静かな立田駅。
駅前に、ご覧のような祠が鎮座しちょります。このように、秋祭りの幟が立てられちゅうところをみると、地元で大切にされゆうお宮さん。八幡宮と書いちょりますき、昔、ここにあった立田土居城の城八幡ながでしょうか。
お城の主は、徳弘氏。菅原道真公の左遷に連座して、土佐の立田庄に移って来たと言いますき、その由緒は古いです。そう言えば、このしゅっと東に天満宮があります。今年7月13日のにっこりでもご紹介したように、道真公遺愛の八重の白梅の株を太宰府から持ってきた道真公嫡男高視さんの乳母が、目的地直前の、この地で病没したことに由来する天満宮。
途中、道真公ゆかりの徳弘氏の所に立ち寄った訳ですね、たぶん。体調を崩したきかも知れません。こっから潮江天満宮までは自転車で1時間かかりませんが、当時は浦戸湾も広大で、道路事情も悪く、なかなか行けんかったがでしょうか。
徳弘氏は、戦国期には山田氏の配下に居りましたが、山田氏滅亡後は長宗我部さんに仕えたそうです。こっから北東へちょっと行ったクに、立田城というお城もあったそうです。城主は立田氏。立田甚左衛門さんが長宗我部さんに従ったという記録があります。ん?
こないだ11月18日に、こっから西へ2kmちょっとのクにある野田城趾をご紹介しましたが、その城主も野田甚左衛門さんで、長宗我部さんに仕えちょります。多いですな、甚左衛門さん。
おっと、それで11月18日のにっこりをもう一回読みよったら、大きな間違いに気付きました。野田甚左衛門さんの奥さんが本山茂辰さんと書いちゃあります。そんな訳は無うて、野田甚左衛門さんの奥さんは本山茂辰さんの娘さんであります。ビックリしました。