三翠園さんの西の建物の2階〔2414〕2009/11/24
2009年11月24日(火)小雨
冷たい小雨がお昼頃からそぼ降り始めた高知市内。ここは鷹匠町の三翠園さんの敷地内にある、旧山内家下屋敷長屋の2階。藩政期末期、1864年に山内容堂侯によって建てられた古い由緒ある建物。このしゅっと西側、今は公園になっちゅうクに、山内家の南屋敷がありまして、容堂さんはそこで生まれました。この三翠園さんになっちゅう敷地には山内家の家臣が住む7軒のお屋敷がありましたが、それを召し上げ、下屋敷を建てた訳です。で、その屋敷の西側に、警備かなにかの家臣を住まわせたらしいががこの長屋。戦後、そのまんまにホッタラカサレちょったがを、建物だけは修築、無料で拝観できるようにされちゅうがです。
1階部分は小さい部屋に仕切られ、当時の調度品を展示しちゃあります。その中の一つの部屋に、丸に桔梗の家紋の大きな旗が飾られちゃありました。ひまわり太郎の家の家紋と一緒。けんど、うちのぢゃありません。当たり前ですが。どっかの旧家から持って来たものと思われます。
さて、2階はこのように壁を取り払うたぶち抜きの部屋になっちょります。中央部分には、地元の方が丹誠込めて造られた船の模型が並んじょります。この、一番手前の船、おわかりでしょうか。これは夕顔丸。高知の皆さんや龍馬ファンにはお馴染みの夕顔丸。龍馬が暗殺された年、慶応3年の6月、この夕顔丸の上で、龍馬は戦中八策を練り上げました。その考え方が、新しい日本の考え方の基礎になっていたことは言うまでもありませんな。
この2階の壁面には、土佐の偉人がずらりと並んでこちらを睨んでおります。お昔から近代まで、様々なジャンルの偉人。その偉人の成し遂げたことも、ここでちょっとだけ学習することができます。
ちょっと不思議な展示コーナーで、タダですきに、時間がありましたらちくと覗いてみるがも一興です。