連続2400日記念日、土佐神社の朝〔2400〕2009/11/10
2009年11月10日(火)曇っちょります
ジャンジャカジャカジャカジャ~ン!
と、いう訳で、今日は、にっこりひまわり連続2400日記念日。今回の百飛び記念日は、ちゃんと覚えちょりました。2003年4月17日に始めて以来、一日も休まず連続2400日なのであります。一日平均750文字として(ホントはもうちょっと多いと思います)、180万文字、書いてきた訳ですね。ネットで調べると、長編小説の文字数の目安が20万文字くらいらしいですきに、長編小説9作品分くらい。まだまだですな。頑張ります。
で、記念日ということで、今朝はここ、土佐一宮、土佐神社からのにっこりです。自転車でちくと遠回りしてみました。
早朝の土佐神社はヒトも居らず、さすがの厳粛で神々しい雰囲気に溢れちょりました。この正面の本殿は、長宗我部元親さんが再建したものですきに、なかなか古うて由緒あります。
一番最初は、都佐の国造が土左大神をお祀りしたがが始まり、と伝えられちょります。地元の皆さんの尊崇された地元の神様やったことがわかります。それもこぢゃんと古いですね。拝殿の北東に礫石という巨石がありますきに、それを磐座(いわくら)として、太古から信仰されよったがかも知れません。昨日の天満宮の磐座が連想されますな。で、日本書紀、つまり天武天皇の時代には朝廷の勢力範囲にはいったことがわかっちょります。西暦686年、現在のご祭神である味鋤高彦根神と一言主神が祀られまして、大和、加茂氏の影響下になりました。土佐は、結構、加茂系の神社が多いですね。
さて、それでは、土左大神、そしてその前から信仰されよった土地の神様はどうなったのでしょうか。拝殿左手に、西御前社、大国主神社、事代主神社という3つの摂社があります。クニツカミを代表する大国主を祀っちょりますきに、加茂氏が入国してきて、こちらの摂社にお祀りされることになったがかも知れません。
2400日記念日、土佐の一の宮、土佐神社から厳粛にお届けしました。