若松町、稲荷新地、土電の電車〔2385〕2009/10/26
2009年10月26日(月)曇っちょります
昨夜はちくと降ったにかありません。地面が濡れちゅう早朝の高知市内。
さて、今日は昨日のお話のつづき。はらたいらのおらんく風土記で、昭和57年に放送されたがを見よりましたら、ここの堤防の上から伝えゆうシーンがありました。ここは若松町。高知稲荷神社のもうちょっと東で、こないだまで職安があった所から真っ直ぐ南へ行った突き当たり。堀川の河口になっちょって、もうちょっと東で鏡川に合流します。
この堤防の上で、故横山さんが、その昔の下(しも)の新地、つまり稲荷新地の賑わいを懐かしそうに語っておられました。
横山さんが子供の頃の事の話で、そんな場所で遊ぶ年代になった頃には、もう、遊郭もなにも無いなっちょって残念やったそうです。
こっから、岸壁の鈴をチリンと鳴らすと、丸山台の料亭から小舟がやって来て、渡れたそうです。う~ん、なんという優雅さ。今、遊びに欠けちゅうがはそんな優雅さでしょうな。
その堤防から北向いて撮影してみました。横山さんのお話では、この道に土電の電車が走っちょって、稲荷新地まで乗り入れちょったそうです。そんな話を聞いたことがありましたが、この通りがその電車通りということは、初めて知りました。言われてみますと、この南北の通りだっけ、妙に広い。ここを電車が走りよったと言われたら成る程理解できます。
遊郭料亭が無いなった後、ここは海運会社の倉庫が並ぶ地区になりました。今でも、ご覧の通り、古い蔵が残っちょります。それはそれで風情がある若松町。
この通りが、ひまわり太郎が一番使う通勤路になっちょります。
早朝、静かな若松町。