昔の高知空港の建物はここでした〔2380〕2009/10/21
2009年10月21日(水)快晴!
雲一つない秋晴れ。こぢゃんと心地良いですな。
ここは朝の高知空港。現空港ビルの東側、管制塔とかの建つエリア。今の空港ビルができる前、つまり、高知空港がジェット化される前の空港の建物は、この辺にありましたよね。空港の建物、と書いたがは、空港ビルとはとても呼べない、アメリカとかの田舎に行ったら必ずあるようなバスターミナルにそっくりのザッとした構築物やったきです。
まあ、風情はありました。狭かったですき、混んだ時にはごったがえしました。
ひまわり太郎が、東京で学生をやりよった時分は、その旧空港でして、もっぱらYS-11に乗りよりました。名機YS-11。高知東京は2時間かかりよりました。
今のジェットより低い高度を飛びよりましたき、富士山とかも近くに見えて迫力がありました。
今、羽田をハブ空港にするとか成田をどうしたとか関空がどうなるとか、色々と喧しい議論があるみたいです。ここ高知空港は、ビッシリ書いてきましたように、太平洋戦争の頃、海軍の飛行場として優良農地を強制的に接収してつくられました。空港というのは、なかなか大変な施設です。
ここに海軍の空港ができたがために、この周辺は空襲の標的になって、巻き添えを食うた方々も多かった訳です。昭和20年に終戦しちょらんかったら、米軍は高知へ上陸してきた訳で、それまでの南方の上陸戦を見たらわかるように、まずは空港を占領して飛行機の拠点をつくり、制空圏を広げていく戦略やった訳ですきに、ここは米軍の基地化されたでしょう。空港をつくる、ということは、なかなか大変なことながですね。
今は、高知県民にとっては無くてはならない大切な高知空港。