松ヶ鼻番所跡から堀川を眺める〔2373〕2009/10/14
2009年10月14日(水)晴れ!
今朝は堀川。カメラの露出を開けて撮影しちょりますきに、こんな写真になっちょりますけんど、実際はまだ暗い堀川。松ヶ鼻の番所があった界隈から九反田方面を撮影してみました。
藩政期、ここは高知の城下の玄関でした。ここにあちこちから集積された物資は、この番所から、城下を縦横に走る水路を通って流通されていったのでありました。浦戸湾、堀川、鏡川がここで一緒になっちょったので、三ッ頭とも呼ばれました。
昨日ご紹介した舟入川は、山田堰から引かれて浦戸湾に流れ込んじょります。
灌漑用水という意味合いももちろんありますけんど、物部川流域の物資を浦戸湾へ運んだり、香長平野の産物をお城下へ輸送したりする役割がこぢゃんと大きかったのでありました。
仁淀川流域の物資や春野の産物も、八田堰から開鑿され、新川川、長浜川となって浦戸湾に流れ込む水路を通って、ここ、松ヶ鼻から高知の城下へと運ばれました。野中兼山先生恐るべし、です。
そう言えば、明治以降ですけんど、浦戸湾に張り巡らされた巡航船の航路は、ここが拠点になっちょったにかありません。
今はこのように高知市が運営する有料の浮き桟橋になっちょりますが、今一度、浦戸湾や堀川の水運を見直したいところです。もちろんはりまや橋の下も堀川に戻さんといけませんし、新堀川のフタはのけんといけませんし、大丸の前には池があってカキ舟が浮かんじょらんといけません。
マンションが建ち、浮き桟橋ができて静かになった松ヶ鼻。もう一度、昔の活気を取り戻してみたいと考える、夜明け前でした。