弘化台、ミロクの砲台、並ぶ岩、膏取り騒動〔2370〕2009/10/11
2009年10月11日(日)晴れ
ちょっと雲が多いですけんど、晴れちょります。
ここは弘化台。以前にもご紹介したことのある、ミロクの捕鯨砲の試射台があったという場所。人工島である弘化台から東に、出島のようになった四角いエリア。試射台があった名残の、色んな構築物が残っちょります。左手の、錆びた鉄の構築物もそのひとつ。
で、こっから東、浦戸湾の方向に、このように岩が突き出ちょります。川鵜や鷺が休憩する岩。何ということのない岩。が、ひまわり太郎は発見しました。
この岩、あの五台山の方向に、縦に並んじゅうがです。普通の、海岸にあるような岩に見えてどうも違う。よう見てみると、白い岩で、海に浸食された普通の岩よりゴツゴツしちゅう気がします。
これ、ひょっとしたら石灰岩とかの仲間ながでしょうか。
これと同じような、縦に並んだ白い岩を、以前に見たことがあります。2005年9月1日にご紹介しちょりますな。物部川を横切る白い岩。その延長線上には、三宝山が、そして稲生の石灰山が。そして、青柳橋の上から、ここに並んだ岩を見て、突然閃いたのでありました。ひょっと、同じ地層の延長線、またはそれに近いものながやないろうか、と。いや、全然関係無いがかも知れんですが。なんせド素人ですきに。まあ、こんな妄想をするがが好きながです。
正面、五台山の麓近くに病院が見えよります。あそこからもうちょっと左、兼山神社のある一の台の界隈に、明治初年、高知で初めての西洋式の病院がつくられ、西洋式の治療が行われました。が、まだ攘夷の興奮冷めやらぬ時期で、土佐のひとたちは、日本人を鉄製の寝台に縛り付けてその膏を吸い取り、西洋人の滋養に供しゆうにかあらん、ということで騒ぎ始め、なんと1000人規模の一揆になったのでありました。こっから五台山を眺めて、久々にその話を思い出しました。