嗚呼 錦兵団司令部之跡〔2371〕2009/10/12
2009年10月12日(月)快晴、秋晴れ!
きょうはものすごい良いお天気。爽やかな秋風、明るい日差し、真っ青な空、素晴らしい体育の日ですな。今日が運動会の皆さんは、ホントに運動会らしいお天気になって良かったですね。
ひまわり太郎、お昼の時間に、ちくと介良の山をたつくりに行っちょりました。あの、鉢伏山ですね。こないだうちからビッシリギッチリご紹介しゆう鉢伏山。10月5日、6日のにっこりで、あの山に、太平洋戦争末期、陸軍の第11師団、通称錦兵団司令部があったことを書きました。米軍の上陸を阻止する本土決戦の、四国沿岸の司令部。
てな訳で、今日はその司令部があの山のどの辺にあるかを知るために、行っちょりました。
錦辺団関係者の方が、その司令部跡を大切に想うちょられたことはよくわかります。南国バイパスの、高須、介良の旧道との交差点近くにも、錦兵団の司令部への目印の白い木製柱が立っちょりますね。大昔から立っちょります。あそこからはかなりの距離があります。ずううっと、介良の旧道を通り、朝峯神社から南へ回り込んで、山道を登らんといけません。
今日登ってみますと、山道はまだ鬱蒼。最近人が通ったという気配はなく、もうちょっと冬枯れになってから登ったら良かった、と、途中で後悔してしまいました。カラフルな色の蜘蛛がたくさん、侵入を阻むように蜘蛛の巣を張り巡らして行く手を遮ります。蜘蛛の巣もつれになって、どうぞりこうぞり辿り着いたががここ。10月5日にご紹介した登り口からはメッソ遠うなかったです。この石段の上に、丸い大きな記念碑がありました。
終戦の年の9月、司令部解散にあたって建てられたがでしょう。「嗚呼 錦兵團司令部之跡」と、最後の師団長、大野広一中将の筆によって刻まれちょります。
ここに、四国太平洋沿岸防衛のそう司令部があったという事実は、この鬱蒼とした景色の中に埋もれちょります。木々の生い茂る夏場は特に、ほとんどヒトも訪れんでしょう。
しかし、忘れたらいかん大切な記憶。