野市の水路について考える〔2358〕2009/09/29
2009年9月29日(火)曇っちょります
またまた一昨日の土佐学協会の話になりますが、あの勉強会で、野市の水路のことをお話頂いた方もいらっしゃいました。野市在住の方で、野中兼山さんが開鑿した用水路が縦横に野市を潤しゆうがはかまんけんど、あの水路がオオカタ三面張りのコンクリートのものになってしもうで、あれが元のような土や石組みでできた水路に戻ったら嬉しい、ということでした。素晴らしいですね。
何でも、その方はコンクリート工事の関係のお仕事を以前されよったそうで、現在のコンクリートで固められた水路を見るたびに忸怩たる思いをされゆうそうです。
なるほど。昔はあの水路で色んな生き物を捕って遊びよったがでしょう。確かに、野中兼山さんゆかりの水路、農業用水に主に使われゆうということもあって、コンクリートで固められたがが多いですね、言われてみれば。
ここは野市の三叉(みつまた)のしゅっと下流。あの、向こうの突き当たりの右手が野中兼山さんがつくった遺構の残る三叉。今年6月2日のにっこりでもご紹介しちゅう三叉と、その周辺の水路は、今でもこのように昔の面影を伝えちょります。以前は全部こんな感じやったことでしょう。いかがでしょうかこの風情。野市というのはかなり市街化の進んだ街ですけんど、その街中にこんな素敵な森と水路があるがです。ウォーキングトレイルとして整備されちょって、森林浴とマイナスイオンを楽しむことができるがですが、この水路もこっからちょっと下流に行くとコンクリ張りになってしまい、風情も自然もヘッタクレも無いなっちゅうがは事実。農業用水に、風情もなにも関係無いと言うてしまえばそれまで。ですけんど、そんなコンクリ張りのお仕事をされよった方の忸怩たる思いという発言は実に重いですよね。こんな風景をゆくゆくは取り戻していきたいところです。