文化14年の石段、文化13年に生まれた吉田東洋さんとおせいさん〔2359〕2009/09/30
2009年9月30日(水)曇り一時雨
秋雨前線でしょうか。妙にハッキリとせんお天気が続きます。が、もう明日から10月。衣替えの季節になってきました。
ここは今朝の上岡八幡宮。夜明け前、まだ薄暗い石段は、幽玄な雰囲気を溢れさせちょりました。
以前にも書きましたが、あの拝殿下にこの石段と同じような石が段々になっちょりまして、それには文化十四年と刻まれちゅうがです。文化14年と言えば1817年。今から200年近く前。その前年、文化13年に生まれちゅうがが藩政期末期の土佐の名執政、吉田東洋さん。
生まれた翌年にこの石段が組まれたことになります。吉田東洋さんと同い年の高知県人で、有名ながは安並のおせいさん。中村の安並、水車を何度かご紹介したことのあるあの安並で、1817年に生まれたががおせいさん。
この方、とにかく器量好しで有名やったとか。
当時、中村でおきゃくがあると、ビッシリギッチリ呼ばれて行きよったそうです。特に役人さんのおきゃくとか、庄屋さんのおきゃくとか。そんなエライテさんの酒席に呼ばれていくおせいさんですけんど、当然地元のワカイシの間でも超人気者。で、色んな歌に歌われちょります。
エライテさんのおきゃくに出る際には「高井 おせいさん おはぐろづつよ 米金いれねばでてくれぬ」と、もったいぶりますが、若い衆に対しては「おせいおせいと戸をたたきゃ 若いしゃかまんぞ はいらんせ」という感じで、くだけちょります。地元の和尚さんとか庄屋さんとかが入れあげたという話がいっぱい残っちゅうおせいさん。どれっぱあ美人やったがでしょうか。
美人でこぢゃんともてた、というだけで歴史に名を残し、高知県人名辞典にも載っちゅうおせいさん。すごいです。