田辺島から国分川へ〔2318〕2009/08/20
2009年8月20日(木)晴れ!
今日も暑うなりそうな夜明け。
昨日、タベシマさんからお客様の声欄に書き込み頂きましたが、今朝はそのタベシマさんの家の界隈、田辺島を通って出勤してみました。自転車ですと、介良をたつくったり大津をたつくったり稲生から里改田をたつくってみたり田辺島をたつくってみたりと縦横無尽。通勤の1時間がこぢゃんと有効ですな。
田辺島は、昔、高知市のほとんどが海の底やった時代の古浦戸湾に浮かぶ島でした。長宗我部氏の頃には、大津は湿地帯になり、国分川が流れる現在のような姿になったそうです。
その、島やった田辺島は、今は小山。てっぺんに隼人神社が鎮座しちょります。
2008年5月6日のにっこりでご紹介しちゅうように、神社の登り口には「急げ!隼人神社だ」という表示板が立てられちょります。地震とか国分川の堤防が決壊するとかの緊急事態には、この隼人神社の山へ避難しましょう、という案内板ですな。この田辺島の集落のあちこちに、この案内板が立てられちょります。
が、しかし。田辺島は迷路です。田辺島迷路に入り込むと、どこがハイトさん(地元の方は隼人神社をこう呼びます)かもわからんなります。ですきに、急げ、隼人神社だ!と言われても素人にはどっちへ行ったらエイかわからんがです。
この神社には、もちろん、長宗我部元親軍の猛将、福留隼人さんを祀っちょります。たぶん一番有名な猛将。田辺島の英雄ですね、今でも。
その田辺島迷路から国分川へ出て、堤防を走るとこの美しい光景にでくわしました。正面の鉄橋は、JRの鉄橋。鉄橋の左に布師田駅が見えよります。平成10年の水害で、この界隈は水没してオオゴトでした。その復旧補強工事により、堤防も頑丈に大きくなって、鉄橋も駅も立派になりました。今にも朝日が昇り始める、そんな時間帯の国分川です。