大津の白太夫神社にて〔2316〕2009/08/18
2009年8月18日(火)晴れ!
今日も夏空。早朝はかなり涼しゅうなりました。日中は猛暑ですけんどね。
ここは大津、白太夫神社。早朝、日の出直後の白太夫神社。以前ご紹介したこともあります。
潮江天満宮にも、境内社として白太夫社がありますが、ここがその本社。
菅原道真公が太宰府で失意の内に亡くなった後、その老臣松本白太夫さんが、土佐に左遷され潮江に住みよった嫡男菅原高視さんに、道真公の遺品を届けようとはるばる土佐までやって来て、ここ大津の雲門寺に投宿、高視さんの住まいを目前にして、翌日急逝された、ということです。
その雲門寺はここにあったそうで、無念の裡に亡くなった白太夫さんを弔うためにつくられたのが、この白太夫神社。
この薄暗い参道に、神秘的な雰囲気が漂います。あの社殿の右へ山道を上がっていけば、白太夫さんのお墓とされちゅう所もございます。
googleの地図の写真で見てみると、高知市界隈の、昔の姿が何となく想像できますよね。昔、今の市街地とかはすべて海、古浦戸湾が広がっちょりました。道真公の時代も、もちろん海。土佐日記を書いた紀貫之さんは、今の国分の国司の館を出発、ここ大津で船に乗って古浦戸湾に漕ぎだしたと思われます。
この白太夫神社のすぐ西側が船戸。その界隈が、漕ぎ出す港やったことでしょう。
つまり。
今の感覚ぢゃあわかりにくいですけんど、白太夫さんは、港のしゅっと横の雲門寺で宿泊し、翌朝、港から船に乗って浦戸湾を渡り、6km先の潮江の高視さんに会うつもりやったがでしょう。白太夫さんはどうやってここ雲門寺まで来たのか。船でやって来たとしたら、古浦戸湾に入って、直接潮江へ行った方がずっと近かった訳です。謎ですね。が、乗合船みたいな船やったとしたら、その船は国府への玄関であるここ大津へ着いたことでしょう。で、ここで乗り換えの船がその日には手配できんかったので、宿泊して手配を待ちゆう間に病気になって亡くなった、ということが妄想されます。真相は知りません。早朝の白太夫神社で妄想を暴走させてみました。