浜口首相と若槻礼次郎さん〔2297〕2009/07/30
2009年7月30日(木)晴れ!
いやいや、強烈に晴れました。暑いです。夜明け前から暑かったですね。
早朝、東の空に昇り始める朝日を眺めながら、自転車で出勤。今朝は五台山の南を通り、稲生を抜けて疾走してみました。五台山の南、下田川の南側にも、東西に連山が横たわっちょります。その谷の一つへ入り込むと、ここ、浜口雄幸さんの生家があります。今、この谷の入り口界隈は、巨大な道路が建設されよって風景が変わりよります。が、ここは、谷に入りこんじょって、そんな喧噪とも隔絶され、朝靄の中に素晴らしい雰囲気が漂いよりました。
浜口雄幸さんは、ここで生まれて苦学し、東京帝大から大蔵省に進んで、その才能と謹厳実直さが先輩に買われて政界入り、1929年には首相になりました。
その政治家としての姿は、ホントに見事なまでにブレません。すごいです。その意志の強さは、今の時代には絶対にないものですな。金解禁への執念と、海軍軍縮条約への執念。
浜口雄幸さんを政界に引っ張り上げた人物の一人に、若槻礼次郎さんが居ます。若槻内閣では内務大臣もやっちょりますね。その若槻礼次郎さんも、清貧からたたきあげた凄い人物。
あの鶴見俊輔さんが、若槻礼次郎さんについて次のように語っちょります。島根で、親も判らない捨て子で育った若槻さん、小学校の時は抜群に出来たそうですが、もちろん上の学校へは経済的に行けんので、周囲が、その小学校の校長にしたそうです。若い若い校長。が、それでもあまりに能力がもったいない、ということで、皆で金を出して東京へ送り込んだそうです。で、自分で勉強して東京帝大法学部に入り、4年後には首席卒業、官界から政界に入って首相になり、保守派や軍部に毅然とした態度を取りつづけました。
この写真の右手の碑には、浜口先生誕生地と刻まれちょります。その文字を揮毫したがが若槻礼次郎さん。昔の首相には、このようなすごい皆さんが居ました。信念を曲げない男子の本懐。