海の王迎え、王無の浜、尊良親王〔2296〕2009/07/29
2009年7月29日(水)晴れたり曇ったり
てな訳で、昨日から中村へ行っちょりました。四万十市中村。市役所の近くに、地元の名士とから好んで利用する、こんまいスナックがありました。ここへ行くと、中村では名の通ったおんちゃんとかに会えよったがですが、そのお店、とにかく異様に安かったです。スナックですけんど、1000円以上払うて帰った記憶がメッソありません。で、そのお店があった場所が、今、結構おいしゅうて安い居酒屋になっちょりました。おいしかったです。あの場所には、ずうっと縁がありそうです。
中村から今朝車で帰って来よりまして、ここ「王無浜」の前を通ったので、この碑をご紹介しましょう。
ここは、土佐くろしお鉄道の「海の王迎え(うみのおうむかえ)」という駅から下ってきた所。この駅名、なかなか素敵ですよね。なにやら深いストーリーがありそうでしょ?
あります。ストーリーが。ご存じでしょうか。
この前の浜に、今から677年前、1332年のことです。この浜に、後醍醐天皇の第一皇子、尊良親王が、船で到着して上陸したのであります。鎌倉幕府の北条氏に対して後醍醐天皇が兵を挙げた元弘の乱で、後醍醐天皇方は敗北、後醍醐天皇は隠岐へ、そして第一皇子の尊良親王は土佐の国、幡多へ流されたがやそうです。
ここで上陸した尊良さん、大平弾正さんに迎えられ、この近くの有井庄の庄司さんに守られて、有井川上の米原という所に仮御所を建てて住んだとか。
「わが庵は 土佐の山風さゆる夜に 軒もる月もかげこほるなり」とは、その頃に尊良親王さんが詠んだ歌。
1333年、後醍醐天皇は隠岐を脱出し、北条氏を倒して政権を握りました。尊良親王も京へ戻り、上将軍となりましたが、足利尊氏の反乱で、1337年にやられてしまいました。
この地、「海の王迎え」は、太平記のあの動乱の、ひとつの物語の舞台となったのであります。