二期作、健在なり!〔2295〕2009/07/28
2009年7月28日(火)曇り
今日も自転車。自転車通勤しますと、日々新しい発見があって、楽しすぎますな。今朝も素晴らしい発見と出逢いがありました。
ここは高知市介良。介良の南部で、南国市稲生との境目界隈。正面右手の山が稲生の石灰山で、こないだうちご紹介しちょります。右端に、石灰工場の設備がちょびっと写っちょります。この正面の山は鉢伏山で、その中腹に建物が見えます。あれが岩屋の薬師寺。奥の院の十一面観音さんは有名ですね。
そんな訳で、この、岩屋の前のこの界隈、こないだからご紹介しゆうように、たぶん、二期作の発祥の地。
藩政期、台風の害を避けて収量を上げるため、この地で二期作が考案された、という説があります。それに、あの向こうの稲生の石灰が関係しちょったがやないろうか、というのはひまわり太郎の仮説。
ひまわり太郎が子供の頃の教科書には、高知の二期作の話が必ず載っちょりました。一年に二度お米が獲れる、高知平野、ということで有名でした。それが減反政策になり、二期作の必要がなくなって、すっかり廃れてしまいました。廃れてしもうたと思うちょりました。が、しかし!
今朝、この二期作発祥の地を自転車でたつくりよりましたら、ご覧のような田んぼをどっしこ発見。よくご覧下さい。左側の田んぼは、稲刈りが終わってヒコバエが出始めちょります。そして右側の田んぼは、田植えが済んだばっかし。すごい景色です。周囲を見てみると、稲刈り後をたたき込んで水を引きゆう田んぼも結構ありましたので、間違いなく二期作をやろうとしよります。まだ、健在でした、二期作。
田んぼ道を散歩しゆうおじいちゃんが居りましたので、「この辺りは今でも二期作しゆうがですね、すごいですね」と話しかけてみました。「少のうなったけんど、今でもやりゆうねえ。けんど、今から植えゆうがは餅米が多いがよ。昔は両方ともおんなじがを植えよったけんどねえ。」とのことでした。そうですか、餅米ですか。それでもお米ですきに、立派な二期作と言えるとひまわり太郎は思います。
この景色、すばらしいと思いませんか?