南国市田村の伊都多神社〔2273〕2009/07/06
2009年7月6日(月)晴れたり曇ったり
時折雲の合間から青い空が見える、けっこう蒸せる月曜日。
ちくと移転後も落ち着いてきたので、今は自転車で通勤しよります。こぢゃんと心地エイです、自転車通勤。気が向いたら走って帰ったりもします。
今朝も自転車で来ましたが、あちこちに興味深いモンが発見されて、もう、面白すぎ。今まで知らんかった世界がタマルカ言うばあ広がりました。素晴らしいです。
介良の街から南国市伊達野を抜けて東へ走りよりましたら、田んぼの脇に、軽トラに乗った若い衆が数人。
軽トラの荷台には大きなラジコンのヘリコプターが。そう。今朝はその界隈の田んぼの農薬散布日やったがですね。ちくと離れた場所から思わず見学してしまいました。他に薬が散らばらんように、かなりの低空飛行で散布するがですね。しかし、あの方法でやるとあっと言う間。誰が考えたがか知らんですけんど、ものすごい効率化ですな、あれは。
ここは南国市田村。このしゅっと西に、室町時代に守護代細川氏が居館を構えちょった場所があります。この田んぼの真ん中の雰囲気満点のお社は「伊都多神社」。長い参道と、整備された境内が、地元に皆さんに大切にされゆうことを伝えてくれます。このしゅっと北側に「細勝寺」という由緒あるお寺さんがありますね。守護代4代目の細川勝益さんが、初代の頼益さん追善のために建立した「桂昌寺」を始まりとします。その後長宗我部氏の天下となり、元親さんが浦戸に居城を移転する際に桂昌寺も種崎へ移転。その跡地に細川氏の官舎として建てられたお寺で、細勝寺という名称に改められたとのこと。
伊都多神社と言えば、同じ名前の神社が、こっから南へ、空港の滑走路の下を抜けて出た前浜にも鎮座しちょりますね。前浜の伊都多神社は、土佐藩を揺るがした天保の庄屋同盟のきっかけいなったがで有名。伊都多神社のお祭りの席次を巡って、村方の庄屋の上座に町方の庄屋が座ろうとしてオオモメになり、村方庄屋が藩に訴え、村方庄屋が団結して同盟を結成、有名な庄屋同盟へとつながっていったのでありました。その伊都多神社と、この伊都多神社は関係あるがか無いがかは、知りません。