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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

松山、湯築城、伊佐爾波神社、道後温泉本館〔2249〕2009/06/12

松山、湯築城、伊佐爾波神社、道後温泉本館

2009年6月12日(金)松山は晴れて暑いぞなもし

てな訳で今朝は松山。昨日、高知から飛行機で東京へ飛びまして、夕刻ここ松山までモンて来ました。今朝は久々に道後温泉界隈をたつくりに行っちょったぞなもし。

道後温泉の手前には「湯築城」の小高い山がありますね。伊豫と瀬戸内海に君臨した河野氏が、南北朝の頃に現在の北条のあたりから移ってきてここを本拠としました。この城跡、藩政期にはほったらかしにされちょったようですが、明治になって公園になり、ここ数年でかなりキレイに整備されてきちょります。

公園内数カ所に、湯築城と河野氏の話を書いた案内板がありまして、戦国末期の1585年に河野通直さんが秀吉に降伏し、廃城になった旨が書かれちょります。南北長期に築城されてそれまでの間に、あの細川氏に讃岐から攻め込まれて一時的に占拠された、という事件が書かれちょりました。

この辺のお話、土佐の史書に必ず載っちょって、伊豫側の資料には載らんものがあるのであります。天正13年(1585年)、確かに、河野通直さんは秀吉に降伏するのでありますが、その前に、長宗我部元親さんに降伏しちゅうがです。元親さんにとっては、この河野氏を降伏させることで、四国制覇が完成することになる、重要な事件。土佐側の文書には、この話が必ずでてきます。四国制覇の完成ですきね、なんと言うたち。その後、元親は、秀吉に攻められて敗北、土佐一国を安堵されるのみとなりますきに、元親さんが河野氏を支配しちょった時期はたしかに短かいのであります。で、やっぱし土佐の山侍にやられたがはいやながでしょうか、湯築城とかにある案内板などには、長宗我部の長の字も出てこんのでありました。

湯築城から山沿いを走ると、長い石段の伊佐爾波(いさにわ)神社が鎮座しちょりました。燈籠などの古さと立派さが、この神社の格式と謂われの深さを伝えてくれます。

その神社から降りてきた所に、この道後温泉本館があります。この周辺も最近こぢゃんと整備されました。以前は、このアングルからこんな感じで撮影できるようにはなっちょらんかったですね。


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