はりまや橋、西武跡地についてまたまた思いを馳せる〔2248〕2009/06/11
2009年6月11日(木)晴れ
梅雨に入って3日目ですが、今朝はお日様も顔をのぞかす爽やかな朝。高知空港へ向かうバスの中で、このにっこりを書きよります。
ここはそのバスに乗ったはりまや橋のバス停東。この、目の前のぽっかりとあいた空間が、高知西武のあった場所。ここ数年、こんな感じの空き地になっちゅう場所。ひまわり太郎が子供の頃は、土電会館というデパートで、映画館も大食堂も、レーシングカーができる遊技場もあった総合商業施設やったです。もちろん屋上には遊園地もありました。1階は土電のバスのターミナルもあり、高知の交通結節点でした。
今は静かな静かなはりまや橋。しかし!
こないだもお話しましたが、街のにぎわいスポットは、時代と共にビックリするほど速いテンポで移動します。今、その昔にぎわいよった種崎町界隈、つまりこっから北側界隈に、面白いお店が増えてきまして、徐々にヒトがモンてきよります。ですきに、この広大な空き地も、こぢゃんと大切な場所になってきちょります。
ここには大阪のディベロッパーさんが大きな商業施設をつくる計画やったがですが、断念しました。さて、何がエイでしょうね。
まあ、ダイエー跡地もここも、もちろん地権者の方がいらっしゃいまして、我々が口を挟む筋合いぢゃあないことはわかっちょりますが、それにしてもちくと気になりますな。
藩政期の頃、ここには豪商が並んじょりました。播磨屋さんや櫃屋さんはもちろんのこと、その土電の跡地からその南側には美濃屋さんという豪商もあって、そのご主人が南路志を書いた武藤致和さんというお話は前にもしましたね。
戦国後期の頃は、その四銀本店の向こうに国沢将監が国沢城を構えて支配しちょったそうです。
さてさて、堀川が川に戻れば、一層ここにはにぎわいがモンてきます、間違いなく。歴史と文化と、酒と料理とホゲたおんちゃんおばちゃん。これが高知の素敵な特徴。それが活かせるもんができたら嬉しいですよね。