野中兼山さんの作品、手結港〔2241〕2009/06/04
2009年6月4日(金)降ったり曇ったり
昨日一昨日、野中兼山さんのつくった用水路とあじさいの話を書きましたら、今日、ラジオで、中村(四万十市)、安並の四ヶ村溝の水車とあじさいの話題をやりよりました。そう。あれも忘れちゃあいけません、野中兼山さんがつくった用水沿いにあじさいをどっしこ植えちゅうパターン。あそこも今が見頃らしいですな。
今日は室戸へ仕事で行っちょりました。室戸と言えば、室津の港も、野中兼山さんが改修して、立派な港にしたがで有名。配下の普請奉行、一木権兵衛さんのお話は、2004年4月18日のにっこりに書いちゃありますきにご覧下さい。
で、室津の港を見ながら思い出したがが手結(てい)の港。高知のヒトには、海水浴場でお馴染みの手結ですけんど、ここの港は野中兼山さんが開鑿したがで有名ながです。その代表作というてもエイ港。ですきに、室戸からの帰りしなに寄っちょりました。写真がその手結港。なかなか昔の風情の残る美しい港です。
ここは、昔から港として利用されよった訳ですが、野中兼山さんが改修してこぢゃんと便利になった港。何というたち、「日本最初の掘り込み港湾」というががすごいがやそうです。ニッポンの土木工学の歴史に燦然と輝きよります。掘り込み港湾とは、砂丘地帯を掘り込んでつくった港ということで、なかなか難しい技術ながやそうです。第二次大戦後、技術が進んで採用されるようになてきた工法ということですきに、今から三百数十年前にやったヒトは偉いですな、まっこと。
この手結港や、室戸の室津港とかが整備されたお陰で、土佐藩は大阪方面との物流がスムーズになり、幕末に活躍できる財力を蓄えた訳ですきに、やっぱし野中さんは偉大です。いや、その土木事業で住民は疲弊した訳で、そのこぢゃんと苦労された民衆が偉大やったとも言えます。
この手結港の入り口には、ご覧のように不思議なオブジェが屹立しちょります。あれ、舗装道路がそのまんま片方に上がるようになっちゅう可動橋で、2002年につくられたもの。時間帯で、上がったり下がったししちょりまして、上がっちゅう間に船は港の出入りを行うようになっちょります。それにしてもあの見てくれは異様。
野中兼山さんのすごい土木作品を前にして、かなり肩に力が入って入りすぎて滑ったがでしょうか。お金を使うにはセンスが必要なのでありました。