野市の三叉は美しく、機能的です〔2239〕2009/06/02
2009年6月2日(火)快晴!
今朝もよう晴れちょります。トウから南国工場に来ちょりましたので、野市の重要な史跡をご紹介しましょう。
ここ、ご存じでしょうか?
今は香南市になっちゅう野市の街中から北西部に、この史跡はあります。藩政期初期に土佐藩の基礎をつくった名執政、野中兼山さんについては、このにっこりでもビッシリギッチリご紹介しちょりますきにご存じですよね。この野市も、兼山さんが灌漑用水を通して広大で豊かな農地を切り拓き、野原の中に市が立つほど豊かになったとされる土地。
で、ここは、その用水の「三叉(みつまた)」。物部川の堰から引かれたこの用水路、上井川は、ここで3つの主要な水路に別れます。たぶんおそらく、この左手が東野溝で、まっすぐ行って左に流れていくがが町溝、右端に流れゆうがが十善寺溝でしょう。
この用水路がつくられたがが正保元年、つまり1644年ですきに、今から365年前。農業用水と生活用水に供されよったこの用水は、今でも農業用水としてこの香南の平野を潤しつづけゆうのであります。何と偉大な野中兼山さん。
ここ三叉も、その1644年に完成したもんで、当時の面影をそのままに伝えちょります。後世に伝えていかんといかん大切な史跡。
が、水路としての役割は果たしながらも、この界隈は鬱蒼とした藪になっちょったそうで、史跡として指定されちょっても気軽に近づくこともできんかったそうです。で、数年前、このように整備され、美しい自然のなかの遊歩道もできて、キレイになりました。メッソ知られちゃあしませんきに、訪れる観光客さんも少ないでしょうが、こういう歴史的な遺構、いや、今も使われよりますきに遺構ぢゃあないですね、こういった構築物は、本物だけがもつ圧倒的迫力で見る者に感動を与えてくれます。