阿波池田、白地城趾〔2236〕2009/05/30

2009年5月30日(土)東四国はおおむね晴れ
今日は土曜日。高速道路が1000円ですきに、徳島から香川界隈のお店まわりに出かけてみました。ハイブリッド車と1000円高速の組み合わせは無敵です。
無敵と言えばここ。
今朝は、まずはここ阿波池田に来ました。今は三好市ということになっちゅうらしいですけんど、やっぱし池田の方がしっくりきます。高校野球も池田高校ですきね。
この池田の街と西、吉野川沿いの高台に、「あわの抄」という温泉保養施設が建っちょります。これ、以前はあのかんぽの宿として作られたがやそうですが、ご多分に漏れない事情とかで経営が変わっちゅうがですね。
写真の、林の向こうの塀が、その「あわの抄」の塀。そこには、戦国の昔、お城がありました。この界隈を支配した近藤氏、後、改名して大西氏がここに城を構え、三好氏とかと連携をとりながら栄えちょりました。1577年、山の向こうの田舎侍とされちょった土佐の長宗我部元親が、怒濤のように攻め込んできて、城主大西覚養さんは讃岐へと逃れたのでありました。
この場所は、今でも川之江、高知、徳島、香川へ通じる道の交接点。昔から交通の要衝やったことはしゅっとわかります。この地の重要性を見抜いた元親さん、ここ白地城を改修し、立派なモノにして、四国制覇の拠点としたのでありました。
そして快進撃で四国全土の支配を成し遂げながらも、豊臣秀吉さんに破れて土佐一国の領主へと戻っていったがはご存じの通り。
しかし、阿波の皆さんにとっては苦い想い出で、メッソ大切にしとうない土地かも知れんですが、土佐の人間にとっては結構重要なポイントですよね。しかし、あの「かんぽの宿」建設で、城跡は跡形もないなってしもうたのでありました。何をしゆうがでしょうかね、まっこと。
その豪華な温泉施設の脇に、大西神社がひっそりとたたずみ、その本殿の横に、この石碑が建てられちょりました。
温泉施設の植え込みの中のちんまい案内看板と、この隠れた場所にある記念碑だけが、この長宗我部元親さんゆかりの白地城のことを伝えちょりました。