吸江禅寺の庭から〔2229〕2009/05/23
2009年5月23日(土)晴れ!
今日は良いお天気の土曜日。久々に五台山界隈をたつくって来ました。
ここは五台山麓、吸江庵跡の吸江禅寺のお庭。鎌倉時代末期、執権北条高時さんのお母さん、覚海さんの招きを受けた夢窓疎石さんが、そんな中央の政治に巻き込まれたりするがが嫌で、この土佐まではるばるやって来てここに庵を結んだのでありました。それ以来、遠く明の国まで名が知れる禅寺となり、高僧が訪れるようになりました。
後世、室町時代になって、長宗我部氏は、ここの寺奉行として活躍したこともあります。
今、この禅寺の庭からは浦戸湾が眺められます。このしゅっと上には「平和パゴダ」という大きなパゴダが。太平洋戦争後期、ビルマ戦線に高知からもたくさんの兵隊さんが出征しましたが、その戦死者の霊を慰めるパゴダ。もちろんビルマにちなんじょります。
ここは夢窓疎石に始まる風光明媚な名刹ですが、現在は、その戦没者慰霊の雰囲気も濃く漂いよります。
素晴らしい庭園の隅にこのようなベンチがあり、こっから浦戸湾が見えます。今日は、本職の漁師さんがどっしこアサリを捕りよりました。
この左手の燈籠を見てみますと、「弓兵団戦友会」と刻まれちょりました。弓兵団は、ビルマのあの無謀なインパール作戦で苦労した兵団、第15軍第33師団のことですな。牟田口廉也という無謀な司令官が東条英機とともに立案したこの作戦、こぢゃんとたくさんの戦死者を出して大失敗するがですが、この弓兵団の柳田中将、烈兵団の佐藤中将、祭兵団の山内中将は揃ってこの作戦に反対、解任されるという事態になったがは有名。その弓兵団の燈籠が、この吸江禅寺の庭に静かに建っちょりました。