田村城から空港の滑走路を抜けると千屋城〔2218〕2009/05/12
2009年5月12日(火)晴れ!
今日も暑うございます。
こないだ、5月7日のにっこりで、土佐の戦国時代、戦国七雄に次ぐ勢力として森、国沢、千屋、蚊居田の四家があったというお話をしました。で、蚊居田城の西に千屋氏の本拠と書きましたが、あれは間違い。何の勘違いやったがでしょうか。千屋氏の本拠、千屋城は、あっから東にあります。
それがたぶんこの界隈。室町時代、土佐の国を支配した守護代、細川氏のお城が南国市田村にあります。そっから、高知空港の滑走路の下を抜けるトンネルがあるがですが、それを南に抜けた出口がここ。
このバス停に書いちゃあるとおり、ここは下田村。つまり細川氏の田村城からしゅっとという訳ですね。
千屋氏は、細川氏支配となってからの有力国人領主。この近さから考えても、かなり近しい関係やったことがわかります。
当時は、このしゅっと東側を物部川の本流が流れちょります。その昔には長岡台地の横を通って介良方面に流れよったこともあるという物部川は、この界隈に広い広い扇状地を形成しちょります。
で、たぶん当時は、今の前浜の海岸自然堤防から北側はラグーンになっちょったみたいです。湿地帯ですな。で、太平洋から、そのラグーンに入り込むように港が形成され、物流の中心になっちょりました。
この界隈にあったとされる千屋氏のお城は、こないだの蚊居田氏のお城もそうですけんど、そのラグーンの岸辺にあったがかも知れません。
戦国時代、同じ細川氏支配下の国人領主やった長宗我部氏が勢力を増し、この界隈の豪族をアッと言う間に飲み込んでいったのでありました。