高見山は焼けて見晴らし抜群!〔2089〕2009/01/03
2009年1月3日(土)今日も快晴!
この三賀日、じつにお正月らしいお天気に恵まれましたですな。皆様良いお正月を過ごされましたでしょうか。カロリーオーバーになっちょりませんか?
てな訳で、今朝も箱根駅伝をラジオで聴きながら、南嶺方面をこぢゃんとたつくりに行っちょりました。
昨日のにっこりで、高見山の山火事をご紹介しました。街から見ると、すごい山火事に見えるがですけんど、高見山の火事は高知市民にとってさほど重大事では無いがでしょう。「またか」てな感じのリアクションで、全然慌てませんな。
この山は度重なる火事で、大きな木も生えちょらず、冬になると枯れ草の野原になるので、燃えるのも枯れ草ばかりなり。で、無理に消火活動をせんづくとに、枯れ草が燃えきってしまうがを静かに待ちよった訳ですね。この山には、こないだもご紹介しました通り、江戸時代からの古いお墓がどっしき。まあ、所謂「墓山」。で、こないだたつくった時には枯れ草の中に埋もれて見えんなっちょった墓所がきれいに現れて、火によって黒ずんだ墓石がはっきりと判るようになっちょりました。
文化、天保、嘉永などの年号が刻まれた墓石は、ここで何十回もの火事を経験してきたがでしょう。草が焼き払われて見晴らしがこぢゃんと良うなっちょりました。黒ずんだ古い墓石にも風格が漂います。
ここはライオン岩の横。この標識には「皿ヶ峰高見山」と書かれちょります。正式名称は皿ヶ峰ですけんど、地元民は高見山と呼びます。この麓が、菅原道真公の長男、菅原高視さんが左遷されて来て住んだことに因んだ「高見」という町やきです。高見山が燃えるがは、何年かに一回の定期的イベントなのでありました、高知市民にとっては。
今日は中の島の家から鏡川、筆山を駆け上がり、標高163mの高見山の頂上を駆け抜け、土佐塾高校の寮の横を通り、一気に標高307mの鷲尾山頂へ。そのまんま西へ駆け下りて急な急な坂道を駆け上り、標高358mの烏帽子山の頂上を止まらずに通過して神田へ下ってきました。う~ん、結構ハードでこたいましたですね。エイお正月です。