金星、木星、唐人町、壬辰和乱〔2070〕2008/12/15
2008年12月15日(火)快晴!
今日の日本、結構冷えてきたみたいですけんど、高知はまだまだぬくうございました。日中は暑いくらい。皆さんの地域はいかがやったでしょうか。
ここは夜の鏡川。天神大橋と潮江橋の間の北岸、西唐人町。デジカメのシャッタースピードを遅くしまして、金星と木星を撮影してみました。中央右上が金星で、その右下が木星。金星がこぢゃんと明るうに輝きよりますね、このところ。
この河原には、ご覧のように葦が群生しちょります。豊葦原の瑞穂の国。
だいぶ前にも書きましたが、尊敬する漢字学者の故白川静大先生によりますれば、このように穂が出ちゅうがが「葦」で、穂がでてないがは「蘆」やそうです。
右手には柳の木が、川向こうにはディズニーランドみたいなホテルの灯と、その向こうの筆山が見えます。
右手向こうに天神大橋が見え、その向こうの明るいところが龍馬スタジアム。この北岸、西唐人町も、藩政期初期から昭和初期まで、豆腐商いの特権を与えられた、朝鮮からやってきた皆さんが住まわれよった地区。長宗我部元親さんが連れ帰った、朝鮮、秋月城主朴好仁さんの一族郎党の末裔ということで、秋月さんを名乗った方も多かったようです。
しかしあれですな、秀吉も、罪なことをしたもんです。彼が、どんな野望を持っちょったがかは知らんですが、無駄な朝鮮出兵やったですね。昔、朝鮮征伐、などという名称で呼ぶ輩も居ったようで、我々は文禄・慶長の役、と学校で習いました。以前、出張で韓国へ行った際、歴史民俗博物館のようなところで「壬辰和乱」という企画展をやりよりました。これ、何のことかと思いましたら、秀吉の朝鮮出兵のこと。考えてみれば朝鮮にしてみればものすごい災難な話。
これ、和の国が攻めてきた乱な訳で、朝鮮の皆さんには忘れられない国難ながです。単なる「役」ではなく、ましてや「征伐」でも有ろうはずがないのでありました。