南国市、向山戦争遺跡現地説明会〔2062〕2008/12/07
2008年12月7日(月)晴れちょります!
明日は太平洋戦争が始まった日。で、今日は南国市伊達野という所の山にある「向山戦争遺跡」というがの現地説明会があったので、それへJr.2号とその友人を引き連れて行っちょりました。感動しました。
太平洋戦争末期、沖縄を占領した米軍は、次は本土へ攻め込んでくると思われちょりました。実際、10月には高知へ上陸する作戦(九州上陸が目的で、その陽動作戦)が計画されちょったので、もし8月に終戦になっちょらんかったら、高知平野で、あの沖縄戦のような悲劇が生まれちょったかも知れん訳です。
山田の新改に司令部を置いて、米軍の上陸と占領を阻止しょうとしちょりまして、何と12万の兵力を高知に配備して、本気でここで戦争をしょうとしよりました。
このにっこりでも、南国市の掩体壕やトーチカ、池の浦戸海軍航空隊跡、高知空港横の白菊部隊の記念碑とかを紹介してきましたが、今日の遺跡はすごいものです。
ここは、高知市と南国市の境界から少し南国市に寄った、潮見台の団地の東に位置する山。この山には、たくさんの陣地跡や、兵器を入れちょったと思われる大きな壕の跡、そして、たてこもって米軍と戦おうとした地下道が、そのまんまの姿で残っちゅうがです。写真は、そのトンネルの中。全長100mちょっとやそうですが、もし、8月に戦争が終わってなかったらもっと縦横に掘られて要塞になったがかも知れません。
こうやって発電機で電灯を点して見れるようにしちゅうがは、今回のみ。この、地面の溝に木が置かれ、その両端から柱を立て、板で天井をこさえて崩れたりせんようにしちょったと思われるそうです。溝の木は、朽ちてはおりますが残っちょりました。
何で今、公開されたがか。それは、ここが、高知東部自動車道の工事で、すべて取り壊されてしまうきながですね。この、ものすごい戦争遺跡が、こないだうちからちくとお話しゆう道路の工事で全部無いなってしまうそうです。ホントに、何が大切で何をせんといかんがか、何にお金を使うて何を守っていかんといかんがか、産業振興とは何ながか、何をするがが産業振興ながか、そんなことを考えさせられた現地説明会でした。350名という人出が、この遺跡のすごさを物語っちょりました。