五台山と榴岡公園の関係〔2061〕2008/12/06
2008年12月6日(土)晴れ!
ちくと冷えた朝。会社の駐車場に停めちゅう車のフロントガラスが、この冬初めてカチバリツイちょりました。
こないだ、東北は仙台の、榴岡(つつじがおか)公園からにっこりをお届けしました。あの公園は、元々、1695年に4代藩主伊達綱村さんが、その生母三沢初子さんの菩提を弔うために釈迦堂を建てたがを始まりとするそうです。その三沢初子さんは、歌舞伎の「先代萩の政岡」のモデルとされる人物で、その筋ではかなり有名。
さて、まだ戦国の匂いも残る1671年、伊達藩でこぢゃんと大きいお家騒動が勃発しました。2歳という年齢で4代目藩主になったのは、伊達綱村さん。
3代藩主綱宗さんの息子で、政宗公の曾孫ですな。2歳ですきに、バックに実権を握る実力者がおります。伊達兵部さん。政宗公の10男。で、伊達藩で、それに反対する勢力が伊達安芸さん。どろどろとした抗争が続くのでありますが、最後は、江戸での審理の最中に、その伊達安芸さんを伊達兵部さん側の家老原田甲斐さんが殺害、その甲斐さんも安芸さん側の家老柴田外記さんに斬り殺されました。結果的には、この結末によって伊達藩は改易にされんと済んだ、ということで、原田甲斐さんを主人公にした山本周五郎さんの名作「樅の木は残った」が書かれたがはご承知の通り。
さて、ここは今朝の鏡川河口。鏡川大橋のアーチの向こうに重なるように、五台山が見えます。あの山には、伊達騒動の主役、伊達兵部さんが眠っちょります。騒動の後、土佐での蟄居を命ぜられて、土佐で没しました。
兵部方の原田甲斐さんを斬り殺した柴田外記さんは、実は長宗我部元親さんの実の孫。大坂の陣で破れ、逃げておった元親さんの娘は、その子と一緒に伊達家の家臣柴田さんに捕らえられ、その子は優秀やったので柴田家の養子になって伊達藩家老にまで登りつめちょった訳です。
土佐と伊達騒動は複雑に絡み合うちょりまして、たぶんこのにっこりを読んだだけでは訳わからんと思います。
そんなことを考えながら朝の五台山を眺めました。