香我美駅、自衛隊の行列、無人島長平さん〔2063〕2008/12/08
2008年12月8日(火)晴れたり曇ったり
今日は12月8日。太平洋戦争の会戦記念日。昭和16年の今日、真珠湾攻撃が始まりました。日本は結構冷やい季節やったがですね。
ここは岸本。赤岡の浜。今は香南市になるがでしょうが、我々には「岸本」で通っちょりますな。右に見えるは土佐くろしお鉄道の「香我美」駅。今、この駅でこのにっこりを書きよります。
もう、今年は忘年会真っ盛りになっちゅう高知県地方。今日は月曜と言いますのに、酪農婦人部の総会忘年会で、ここ岸本まで来ちょります。ここの「一寿司会館」というところで真っ昼間の宴会を済ませ、帰りの汽車を待ちゆうところです。
下を見下ろすと、迷彩服で小銃を構えた団体さんが疲れた顔で歩いて行きよりました。田野から歩いて帰ってきたそうです。ここ岸本には自衛隊の基地があり、そこへイヌりゆうがでしょう。装備を担いで長距離を歩く、自衛隊の訓練のひとつながでしょうね。開戦記念日に、このような団体さんと遭遇するがも何かの縁でしょうか。
写真中央のちょっと右に、青緑色をした大きなオブジェがあります。これは、何度かご紹介したことのある「無人島長平」の像。見た感じは石ですけんど、張りぼてと言うか発泡スチロール。出来だちの頃はキレイなブロンズ像のように塗装されて、触ってみんと全然判らんかったですが、最近、風雨にさらされて色の濃淡がでてきちょりまして、ちょっとだけ不自然。そろそろ塗った方がエイですな、こりゃ。
この界隈の漁師さんやった長平さんは、漁に出ちょって嵐で遭難して漂流して鳥島に流れ着きました。ジョン万次郎さんの大先輩ですな。仲間も死に絶え、たった一人の期間を1年半過ごし、後からやって来た遭難者と一緒に船をつくって北の青ヶ島へたどりつくまでが全部で12年。日本のロビンソンクルーソー、無人島長平さんは、まぎれもなく土佐の偉人の一人。