潮江橋北詰でカーブする線路〔2053〕2008/11/28
2008年11月28日(金)快晴!
今日はこれまた良いお天気。こぢゃんとヌクいですな。カシオワールドオープンのゴルフも、かなり暑うなりそうです。
さて、ここは今朝の潮江橋北詰。こないだの月曜日まで、岡豊の歴史民俗資料館で「絵葉書のなかの土佐」という企画展をやりよりましたが、その図録に、この左上の絵葉書の写真が載っちょりました。
明治37年に開業した土佐電鉄の路面電車は、明治39年にできた鉄道橋によって、鏡川を渡るようになります。で、昭和2年までは、橋の北詰から西へ曲がり、今のグランドホテルさんの所で北へ折れて、堀詰で東西の路線とつながっちょりました。
はりまや橋でつながっちょったがやないがです。桟橋線は堀詰から南へ行って、川の北を左折、潮江橋北詰で右折して桟橋へと向かいよったがです。そんなお話は、何度かしましたが、その写真が絵葉書にありましたので、はじめてご紹介します。
下の写真が今朝のもの。広い潮江橋を渡ってきた電車は、まっすぐにはりまや橋へと下っていきます。絵葉書の方は、まだ狭い潮江橋の東側に鉄道の橋が架かり、そこから線路がカーブして民家の間を西へと下っていくようになっちょります。で、道路と線路が交差するので、踏切番がおったそうですな。なかなか風情があります。こうやって昔の写真と見比べてみると、その変化にビックリします。
ちなみに、何でここからまっすぐはりまや橋につながっちょらんかったかと申しますと、この北側の住民が、電車が通ると街が寂れる、というて反対したきらしいですね。確かに、商店街と電車通りは相容れん部分がありますもんね。ただ、結節点になった堀詰は、高知のお街の中心地となって栄えた訳ですき、なかなか難しいところです。