浦戸海軍航空隊跡の碑〔2022〕2008/10/28
2008年10月28日(火)秋晴れ!
これ以上ないくらいの秋晴れ。早朝から心地良い秋風が吹き抜けておりました。
今朝は南国工場で、工場から本社への帰り、高知医療センター方面を通ってきました。あの、市民病院と県立中央病院が一緒になってPFI方式でできた高度医療施設「高知医療センター」の東側、山に囲まれた広い土地には、国立療養所がありました。ひまわり太郎、営業で通うたことがあります。今はその機能は国立高知病院に統合され、そして高知医療センターができたのでありました。
この界隈、その昔、終戦の時分には「浦戸海軍航空隊」という予科練の部隊がありました。教育機関ですきに飛行機とかは無かった訳で、少年達に軍事航空教育を施す予科練として昭和19年11月に設置されたそうです。
が、終戦間際、本土決戦を想定して陸戦の訓練に集中するために解隊、航空練習生やったはずの若人たちは陸戦特効訓練をやることになったとのこと。8000名の若人が、ここで訓練に励みよった訳です。
県立高知高等技術学校の西側に、ご覧の記念碑が建っちょります。気を付けて見よらんと見過ごしてしまう記念碑。ここに、浦戸海軍航空隊の門があったそうですね。
そんな訳で、この界隈の山には、武器弾薬の倉庫にしちょった壕とかの遺構が実はどっしこ残されちゅうそうながです。全然知られちゃあせんです。
実際、アメリカ軍は九州上陸作戦を計画し、それを偽装するために昭和20年10月、8万の大軍で高知へ上陸して高知市やらを殲滅する予定やったらしいです。その上陸を阻止する使命を帯びちょったがが、この航空隊から沿岸防衛隊に転用された若者たちやったということ。もし、終戦がなかったら、どんなことになっちょったがでしょうか、ということを考えさせられる記念碑です。