中村城趾、郷土資料館、幸徳秋水さん〔2005〕2008/10/11
2008年10月11日(土)中村も晴れちょう
てな訳で今朝は中村。こないだうちの市町村合併で西土佐村と一緒になり、中村市から四万十市になりました。ですけんどやっぱし中村は中村。
応仁の乱を避けて、前関白の一条教房さんというこぢゃんと有力な公家さんが京より下ってきて、京に似た街づくりをしたがで有名な高知県西部の中心都市。
その中心部にある山の上に、為松公園があります。一条さんがやって来るまで、為松氏という豪族がこの山を本拠にしちょりました。
が、一条氏入国で、一条さんに従うようになりました。その後戦国時代を迎え、長宗我部氏によって一条氏は滅ぼされ、長宗我部氏がここに「御城」を築きました。一条家臣団の砦が、この山にいくつか連なってあった訳ですが、それに新しい詰を建設して戦国の城としての体裁を整えたということですな。
その後、山内時代になって、山内2万石の城として築き直されたがですけんど、一国一城令で取り壊され、城跡を残すのみとなっちょります。
ここは、戦後につくられた郷土資料館のてっぺん。お城の形をしちゅう資料館ですが、なにかを復元したものでもなんでもありません。が、こぢゃんと景色が良いです。右手には四万十川の流れが、東には後川の流れが見え、写真左端に中村の市街地が写っちょりますね。その市街地の真ん中に、ひまわり乳業中村工場、中村支店がございます。
この山の麓には、日本の社会主義思想の父とも言える、幸徳秋水さんのお墓がございます。この山の上には、幸徳秋水さんが大逆事件で明治政府の策謀によって捕らえられ、市ヶ谷の監獄で死刑を言い渡された際に、秋水さんの人格に惹かれちょった看守の菅野丈右衛門さんの依頼によって書かれた詩が刻まれた碑があります。死刑を控えちゅうにもかかわらず、その文字に乱れは無く、秋水さんの偉大さが伝わってきますね。