フンガイしちゅう看板発見〔1986〕2008/09/22
2008年9月22日(月)秋晴れ!
今日も良いお天気。秋晴れと言うには気温が上がりすぎた一日となりました。
一昨日、南国市、士島田遺跡で、奈良時代から平安初期にかけてに官道跡が確認されたというお話をしました。この界隈、官道が発見された場所を含んで数百メートルのエリアに、奈良時代から平安時代にかけての掘立柱建物跡や竪穴式住居跡などが発見されちゅう、古代の大きな集落があった場所。ここから北へ、1kmちょっとで国分寺ですきに、かなり拓けちょった地域やと想像できます。
律令体制の中で整備された官道は、こぢゃんとまっすぐ。直線ですね。ローマの街道を思わせる、中央集権体制を構築していく意図がはっきりとわかる所謂「国道」ですな。
一昨日の場所から東へちょっと行った所にも発掘調査をやりゆうクがあります。写真はその場所。今日、工場へ行った帰りにそこへ寄ってみますれば、その発掘エリアを囲う杭に、ご覧のモノが貼られちょりました。なかなか酢が効いちょります。とにかく、フンガイしちゅうがですね。その気持ちが伝わってまいります。また、人間に対するやさしい気持ちも伝わってくるではありませんか。このしゅっと横に、工事現場用の簡易トイレがございまして、そちらをさりげなく紹介しちゅう訳ですね。
今日、実感したがですけんど、平安末期に源頼朝挙兵に呼応した源希義さんが、平家方の追手に討たれたがはここから東へしゅっと。500mも離れちょりません。当時、道幅6mの官道はどうなっちょったか知らんですけんど、とにかく国府の南1kmのこの界隈で、源平の合戦がおこなわれよったということです。