お千代地蔵の御堂が新築されちょりました〔1949〕2008/08/16
2008年8月16日(土)晴れ!
今日も暑うございます。今朝は鏡川を遡行してみました。
鏡川橋の上流の土手では、無花果の実が、まだ緑色ながらかなり大きゅうなっちょりました。ここは鉄道の橋が鏡川を渡る所。大きな大きな銀杏の巨木が屹立しちょりまして、その木陰に「おちよ地蔵」という2体並んだお地蔵さんがございます。このにこりでも何度かご紹介しました。
嘉永7年(1854年)2月建立と彫られちゃありますきに、幕末、安政の南海地震の起きるちょっと前。その10年くらい前に、この朝倉界隈が鏡川の氾濫で毎年大変な被害を被るので、人柱をたてよう、ということになりました。
その白羽の矢が立てられたがが13歳の美しい娘お千代さん。病身のお母さんとの二人暮らし。で、お千代さん、お母さんの面倒を、皆さんがしっかりみてくれるなら、という条件で、人柱になることを承知し、犠牲となったのでありました。それでしばらく川は氾濫もなく静かやった訳ですが、いつの間にか村人たちはお千代さんとの約束を忘れ、千代の母はひとし寂しく亡くなったそうです。そんなある年、大雨で鏡川は氾濫し、大変な災害がこの地を襲いました。これはお千代さんとの策即を破ったバチがあたったに違いない、ということで、ここに母娘2体のお地蔵さんを建立し、川の安全を祈願するようになったそうです。鏡川を走るときには、いっつもこの前を通るがですが、こないだうち走りよってビックリしました。こぢゃんとキレイなお堂になっちゅうではありませんか。「お千代地蔵御堂再建有志の会」の皆さんが建てて、毎年7月にやりゆうお祭りに合わせて落成したとのことです。
こうやって、地元の皆さんに尊崇されゆう地元のお地蔵さんや祠がある、ということは素晴らしいこと。いろんな所をたつくりよってつくづくしみじみ思います。