堀川考〔1950〕2008/08/17
2008年8月17日(日)曇っちょりますが暑いです
今日はちくと雲がありますけんど、暑いです。皆さん、どんなお盆を過ごされましたでしょうか。こないだも書きましたですけんど、戦争の記憶を持つ皆さんが高齢化しちゅう今、その記憶を記録に残し、また記憶を直接お話してもらうということがこぢゃんと急がんといかんことやと思いますね。ある右翼の方が、「国家」というものに自分を重ね、国家が強い、他国には負けない、と信じることで自分の存在が心地良くなる、という右翼の心理を語っておりましたですけんど、そんな快楽的右傾化若者が増えちゅうがも事実やそうです。う~ん。
ここは堀川河口。この、藩政期初期につくられた堀川は、ついこないだ、昭和40年代まで、高知の城下の表玄関入り口でした。特に藩政期には、ヒトもモノもここを通って出入りしよった訳です。そのしゅっと右手に三ッ頭番所がありました。明治期には水上警察もありました。この堀川が縦堀で、ずうっとはりまや橋の下を通って堀詰までつながっちょりました。その向こう、今のかるぽーとの西で、南北に掘られた横堀、つまり新堀川と交差しちょりました。その川の交差点の横に高知市の中央卸売市場が開設されたがが昭和5年。で、その交差点に4つの橋が架かることになって「四ツ橋」。大阪の四ツ橋と同じ理屈ですな。
その橋の一つに、戦争時の米軍の爆撃による弾痕がありました。木屋橋を除き、今は取り壊された四ツ橋ですが、その、弾痕の残る鉄の欄干は、堀川沿いに戦争史跡として展示されちょります。
しつこいようですけんど、この堀川、はりまや橋の向こうまでつながっちょったらエイと思われませんか?水の流れる街というのは、素敵ですよね。はりまや橋もがっかり名所では無いなります。坊さんかんざしの話を、その橋の下を行き来する舟でおきゃくをしもって聞けるようにしたら、風情満点。講談調がエイでしょうか。三味線で浄瑠璃語りがエイでしょうか。高知と言えばブルースですきに、ギターでブルースにして演るがもエイかも知れんですな。