8月15日の記憶、南国市のトーチカ〔1948〕2008/08/15
2008年8月15日(金)晴れ!暑い!
今日は終戦記念日。63年前の今日も、こんな暑いお天気やったがでしょうか。ひまわり太郎の母親は、高知空襲で家を焼かれて疎開中の斗賀野の山で、あんまし暑いので谷に下りて泳ぎゆうところへ、「戦争が終わった」と呼びにきたそうです。お盆ですきにメッソ泳がれませんぞね、おかあちゃん。
県内にも、戦争にまつわる史跡は結構あります。ひまわり乳業南国工場のある南国市は、海軍航空隊の飛行場があったりしまして、色々と残されちょります。
有名ながは掩体壕(えんたいごう)。
空港の南に、グラマンの機銃掃射の銃痕も生々しく、今でも7つ残されちょります。コンクリートでつくられた戦闘機の格納庫。2005年8月26日、9月14日、2006年2月23日、24日のにっこりでご紹介しちょりますきに、ご覧になってみてください。
それから、2006年2月1日、10日にご紹介しちゅう、物部川堤防のトーチカ。海軍の飛行場があったということで、幾度か米空母のグラマンが攻撃してきたそうですけんど、それを迎え撃ったががそのトーチカ。こんまいです。
そのトーチカの存在を教えてくれたがは、日章の酪農のおんちゃん。物部川の堤防に一つと、前浜の海岸縁りにあらあよ、と教えてくれちょったがですが、前浜のものは、まだよう見に行っちょりませんでした。で、今日は終戦記念日ということで、行ってみました。写真がそのトーチカ。かなり大きいです。高さ4mくらいあるでしょうか。海岸の、堤防の内側の砂地に突然存在しちょりました。横長の穴は銃眼でしょうね。
このトーチカは空港施設と関係なく、どうやら陸軍が、戦争末期に本土決戦に備えてつくったものらしいです。沖縄戦が終わったら、つぎは本土。太平洋岸から侵攻してくるということで、海岸にこんな施設をつくったがでしょう。今見ると、そんな戦争の生々しさが伝わってきます。
掩体壕もトーチカも、私有地の中にあるということもありますが、何の表示、説明も為されちょらんみたいですね。簡単な説明版のある掩体壕もあるらしいですが、こんな戦争の「実物」を、子ども達に伝えていかんとイカンですね。終戦時、12歳やったひまわり太郎の母親も、もう後期高齢者。記憶と遺跡は、キチンと伝えていかんといけません。