飛行機から吾岡山方面を望む〔1941〕2008/08/08
2008年8月8日(金)朝のうちは曇ったり降ったり
今朝の高知は、ちくと曇って時折雨が落ちてくるお天気でした。お昼からは晴れるそうですね。そんな高知を後にして、今は東京へ向かう飛行機の中。そう。また東京で、今日は日帰り出張でございます。
飛行機の窓から、靄に包まれる高知の街を撮影したががこれ。真下に見える山、あれは吾岡山でしょうか。大そねの交差点の南西にある山。てっぺんが公園みたいに整備されちょって、小さい子供が遊べる遊具とか長い滑り台とかがあったですね。Jr.がコンマイ頃はよう行ったもんです。
何かの文献で読んだことがあります。太平洋戦争末期、日本は、本土決戦の準備をしよりました。各地の海岸で、米軍が上陸してくるがへの対応としてトーチカや壕などなどが構築され、住民には竹槍とかでの訓練が始まったそうです。
高知では、前浜から十市にかけての海岸に米軍が上陸してくることを想定し、琴平山からこの吾岡山にかけて、そういった防御設備が作られていったそうです。今でも、その痕跡や残骸は残っちゅうそうですね。それを検証していった方がいらっしゃいました。
もうすぐ終戦記念日。日本人として忘れてはならん記憶ですが、この南国市界隈にも戦争の痕跡はどっしこ残っちょります。琴平山や吾岡山の山中の防空壕やトーチカなどもそうですし、空港の南側に点在する掩体壕も生の戦争の記憶でしょう。物部川の堤防にはいくつかトーチカも残っちょります。こういうモノこそ、キチンと残して未来へと伝えていかんといかんがやと思いますね。少なくとも、将来を担う子ども達には、その遺構の存在と意味を伝えていくことが、こぢゃんと大切ながやないでしょうか。身近なところにある、本物の遺構は、圧倒的な迫力で過去を伝えてくれます。