高知駅、駅前広間、田中光顕さん〔1940〕2008/08/07
2008年8月7日(木)曇っちょります
そんな訳で今朝は高知へモンちょります。今日は曇り。ギンギラギンにお日様が照りつけよった昨今、涼しゅう感じます。30℃は超えちゅうがですけんどね。
ここは新高知駅。高知駅が高架になって新駅舎ができたら、駅前の広場をどうやって利用するか、という議論が結構ホットやったですが、今までの駅前広場のイメージしかなかったですきに、今ひとつピンときちょらんかったです。が、こうやって旧駅舎が取り壊されて、線路も無いなったら、こりゃまた広いですな。約1年前、2007年8月9日のにっこりで、できかけの新駅舎とプラットホームを陸橋の上から撮影しちょります。
この、舗装してない広大な土地が全部、駅舎と線路とプラットホームのあった場所。これに現在の駅前広場を加えたら、運動会ができますな。
運動会しゆう場合ぢゃあないので、高知にとってプラスになるモンになってもらいたいところ。現在の土電の電車の高知駅前の停留所が、その新駅舎のところまで延伸するがは決まっちゅうそうですね。
ここに駅ができたがは大正13年11月。高知駅と日下駅の間が開通し、その起点の駅となりました。その年の3月に須崎と日下の間が開業しちょったので、須崎と高知が汽車で繋がった訳ですね。高知から伊野、日下を通って佐川まで行き、そこから南進、斗賀野を通って須崎へと向こうたのでありました。今考えてもかなり不自然なルート。普通に考えたら、高知からは国道56号線のルート、つまり弘岡、高岡を抜けて須崎へ、というがが本筋でしょう。が、当時は佐川に実力者が居りました。説によれば、維新の志士にして明治の元勲、田中光顕伯爵が佐川出身で、この佐川経由のルートを強力に推進した、とも言われちょります。なかなかガイなことしますな。まあ、お陰で、佐川の司牡丹の酒蔵へ新酒をいただきに行ったり、お花見に行ったりするがも、汽車で行けるという訳ですが。