雑喉場橋南詰の六地蔵さん〔1861〕2008/05/20
2008年5月20日(火)今日はまたキレイに晴れました
昨日、雨がしっかりと降って街をキレイに洗い流し、今日は朝日に光り輝く高知市内になっちょります。雨上がりの朝の街は、こぢゃんと心地良うございますね。
ここは鏡川、雑喉場橋南詰。鏡川沿いには、たくさんのお宮さんやお地蔵さんが鎮座されちょりますね。ここのしゅっと西にはお稲荷さんが、そのまた西には水神社がございまして、向こうに写る潮江橋南詰には地蔵堂があります。南岸の方に集中してあるのは、どういう訳でしょうか。川沿いのお宮さんやお地蔵さんは、川の氾濫と関係が深いものと思われます。
藩政期の昔、川の北側はヒトのたくさん住む郭中や下町になっちょりまして、鏡川は増水すると南側に溢れるようになっちょったと想像されます。そのことと、南岸に祠が集中しちゅうがとは関係あるがでしょうか。
この写真の祠、中をのぞいてみますと、古い石版に彫られた六地蔵と、観音さまと思しき仏頭が鎮座されちょりました。どんな謂われがあるがでしょうか。こういう場合、仏頭が川の上流から流れてきたのを見つけて拾い上げ、お祀りした、てなことが多いですけんど。
今朝、この写真を撮りよったら、お散歩中のおばちゃんが話しかけてきました。30年前までこの近所に住みよって、それから市内の別の場所に引っ越しちょったがやけんど、最近またこの近所にモンて来た、とおっしゃっておられました。で、30年前には、こんながあ、無かったにかあらん、と言うておられました。しかし、この六地蔵の古さと言い、左下に置かれた手水に刻まれた「弘化4年」、つまり1848年という年号と言い、かなり昔からお祀りされよったらしいがです。
この界隈も、堤防が作り直されたりしちょりますので、別の場所にあったががここに移されたがかも知れんですね。
右下の標柱には「成岡次郎之碑」と刻まれちょりますが、どういう謂われながかは判りませんでした。