郡頭神社はこおりず神社と読みます〔1859〕2008/05/18
2008年5月18日(日)今日も素晴らしいお天気でした
今、もう、夜の10時を過ぎました。連続1900回にも近づいてきたにっこりひまわりですけんど、毎日更新ということで、この時間にまだ更新できてなかったりすると、ちっくと焦ります。
今日は、夕方、鏡川界隈を走って朝倉の辺りをたつくってみました。土電の電車が鏡川を渡る鏡川橋がありますが、その橋の南詰から電車通りを進み、一つ目の三叉路を西へ行きますと、郡頭(こおりず)神社という由緒ありまくりの素晴らしいお宮さんが鎮座しちょります。
ちっくと前に、いつもの潮江天満宮に、「六郡中」と刻まれた灯籠がある、てなお話をしました。
この六郡とは、土佐の国の六郡「安芸郡」「香美郡」「長岡郡」「土佐郡」「吾川郡」「高岡郡」のこと。つまり、土佐の中の「幡多郡」を除いたすべての地区の事を六郡と言うた訳です。藩政期初期、山内の殿様が土佐に入城してきまして、覇権を握りました。その際、このお宮さんは六郡の地主神ということになって尊崇された、ということで、ここは郡頭神社。
ですけんど、その成り立ちはこぢゃんと古く、由緒ありまくり神社なのであります。平安時代の延喜式にも記載されちゅう、所謂式内社で、元々は京からやって来た加茂氏一族の繁栄を祈る神社やったみたいです。近くは鴨田という地名で、加茂氏とはこぢゃんと深い関係がありそうですな。
昭和56年、この神社は火事で焼けました。その折、ご神体まで燃え広がった火は、ご神体直前で自然に消えたそうです。また、社務所の神殿にあったご神体のご分霊も、社務所の建物やらなにやら、全部燃え落ちた中で、無傷の状態で発見されたということで、この神社の神様の力を、地元の皆さんは改めて思い知ったそうです。
この立派なお宮さんは、その際に再建されたもの。いやいや、こぢゃんと立派です。今日、お参りしよりましたら、突然強い風が吹き始めまして、この郡頭神社の神様、大国主命の存在を感じました。