筆山から見た五台山〔1839〕2008/04/28
2008年4月28日(月)晴れちょります
今日は月曜日。もう、連休に入った方もいらっしゃいますでしょうが、おおかたの皆さんは今日は普通の月曜日ということでお仕事ですよね。もちろんひまわり太郎もそう。ですきに、早朝、出勤前に走りに行っちょりました。5時過ぎに家を出ますけんど、もうその時間になると明るうなっちょります。で、今朝は、こないだ一度ご紹介した、散髪した筆山に駆け上がってみることにしました。頂上周辺を取り囲んじょった大きな大きな木々を間引きして、頂上の広場から市内の景色を見ようにしてくれたがです。4月21日にご紹介したのは、筆山の一番高い所にある展望台の上からの市内の写真。
今朝は、その東側の広い公園から東を眺めた写真を撮ってみました。以前よりもずっと見晴らしが良うなりまして、朝の空気がおいしゅうございます。
とっと向こうに介良富士が見え、その手前に鉄塔の建っちゅう五台山が。昨日、駆け上がって「お馬路」を下った五台山。その昔は「大島」と呼ばれる浦戸湾に浮かぶ島やった五台山。昨日は、幕末の頃、お城下のみならず全国を賑わしたよさこい節のメイン舞台を駆け下りた訳ですが、お馬さんの家はわかりませんでした。今度はそこも見てみたいもんです。そのお馬路を下った長江から、山の北麓を西進しますと、その町名は「高須大島」。「大島」という名称は、今に残っちゅうのでありました。
五台山の中腹には、伊達兵部さんの墓所もあります。仙台伊達藩、伊達政宗さんの弟で、伊達騒動の主人公の一人。一昨日、仙台へ行っちょりましたが、青葉城の近くの山に、伊達政宗さんなど伊達一族の霊廟、瑞宝殿がございます。観光地にもなっちょりますが、とにかく壮麗で、政宗さんの瑞宝殿、二代藩主で政宗さんの息子さん、忠宗さんの感仙殿、そして三代藩主で忠宗さんの息子さん、綱宗さんの善応殿が絢爛豪華に建っておりまして、その周囲に一族の墓所も並んでおります。政宗さんの息子で、忠宗さんの弟になる伊達宗勝さん、通称伊達兵部さんは、幕府と語ろうて綱宗さんを若隠居させ、その息子の幼い綱村さんを即位させて藩の実権を握った、ということになっちょります。そして伊達騒動へ。長宗我部元親さんの実の孫になる柴田外記さんも、片方の主人公になった話は、今年1月26日のにっこりをご覧下さいね。
話を五台山に戻しますと、伊達騒動の責任を取って土佐、山内家預りになった伊達兵部さん、土佐での暮らしは良かったみたいですが、最期は、あの五台山に眠ることになりました。瑞宝殿界隈の賑やかさに比して、あまりヒトの通らない五台山の山道のそばに一人ひっそりと眠る兵部さん。伊達家の家紋の一つ、九曜紋が墓石に刻まれちょりまして、仙台への郷愁を感じさせます。