水泳オリンピック代表、金メダルと潮江橋〔1829〕2008/04/18
2008年4月18日(金)曇りのち晴れ
晴れてきました。晴れてきた、朝の高知の東の空。潮江橋から鏡川の夜明けを眺めてみました。
こないだうちから、北京オリンピックの水泳の代表選考会というがをやりよります。これに勝った選手がオリンピックへ出れるという、なかなかシビアな大会。前回のアテネ大会は、水泳ニッポン復活、と言われる良い成績でした。「復活」というくらいですきに、昔、こぢゃんと強かった時代があったということ。では、いつが全盛やったかと申しますと、1932年、昭和7年のロサンゼルスオリンピックの時。
日本は、水泳で何と5個の金メダルを獲得しちゅうのであります。そしてその中の1個が、高知商業学校の生徒やった北村久寿雄さん。ここから北へ行った種崎町が家やった北村少年、小学生の頃、この潮江橋と向こうの雑喉場橋の間で練習する旧制中学のおにいさん達に混ざって、きれいなクロールをマスターしたそうです。この鏡川がプールやった訳ですね。商業学校で腕を上げた北村少年は、ついにオリンピック代表になり、昭和7年8月13日、1500m自由形で、それまでの記録を40秒近くも更新する大記録で優勝、金メダルを獲得したのでありました。その大記録は、何と、20年間破られんかったとか。すんごいですな。そんな北村くんは、その時14歳10ヶ月。その水泳練習の原点はここ。そんなことを思いながら川を眺めると、昔、世界レベルで活躍したヒトの凄さがあらためて実感できます。
で、北村少年がすごいのはそれから。昭和7年、8年と日本選手権を連覇した後、勉学を志し京都の旧制三高に進学、そして東京帝国大学法学部へ進みました。で、ILO等々の機関や企業で活躍するという、ものすごい人生を歩まれたのであります。その、何でもできる能力の高さは、尋常ぢゃあないですね。種崎町の散髪屋さんの息子ですきに、そんなに環境に恵まれちょった訳やないと思います。自分でこの川へ出掛けて行って、旧制中学水泳部のお兄さん達が、洋書を読み読み水泳理論を勉強しながら練習するのに混ざって自分も勉強し、練習し、努力して頂点を極めました。そして、勉強に目覚めてからは強い意志と信念でその道を突き進んで行ったがですな。