しまなみ海道、大三島、大山祇神社〔1826〕2008/04/15
2008年4月15日(火)瀬戸内はおだやかに晴れております
と、言うわけで、昨夜、旧十和村から宇和島の方へ抜け、南予をめぐりながら松山へと入りました。松山泊。で、今朝は松山支店で仕事をしちょいて、しまなみ海道を通って本州へと走ります。しまなみ海道とは、西瀬戸自動車道のことで、瀬戸内海に架かる橋のうち一番西のやつ。実はひまわり太郎、この橋が全線開通してから、まだ一度も通ったことがなかったのであります。今日は渡り初め。嬉しいですね。
お天気は上々で、春霞の瀬戸内海、ひねもすのたりの瀬戸内海で、心地良く車を走らせました。
しかしあれですね、この界隈の瀬戸内海は、本当に島だらけで、島の間に海が見える、てな感じ。村上水軍をはじめとする海の豪族が盤踞しちょったがも頷けます。
今日は、途中、大三島でインターを降りてみました。お目当てはもちろんここ。大山祇(おおやまづみ)神社ですね。瀬戸内海の大三島には、日本全国の大山祇神社、三島神社の本山たる大山祇神社が厳粛に鎮座されちょります。今日は初めてお参りしてきました。ご祭神は、ここでは「大山積神」と書かれちょりました。延喜式では伊豫一宮で、山の神であり海の神でもある大山積神は「日本総鎮守」として古来崇められてきた、とありますきに、そのありがたさは半端ぢゃあありませんね、まこと。
いやいや、ここの存在感はすごいもんです。国の天然記念物の楠群に囲まれた広い境内には、藩政期中期~後期の燈籠が当たり前のようにひしめきあい、広い参道を進むとご覧の光景が。この大きな楠は、小千命(おちのみこと)お手植えの楠とされ、言い伝えでは樹齢2600年とか。神武東征の際にここに大山祇神社が勧請された、という話に、年号の辻褄を合わせちゅうがでしょうか。
いや、この手前の左手には、一番古いとされる樹齢3000年と伝えられる楠もありました。また、元寇の際に活躍した河野水軍の大将河野通有さんが、必勝祈願をした際に兜を掛けたという楠もありました。
この写真の奥の門をくぐると、室町時代に再建された桧皮葺の拝殿があり、その奥に室町初期建築の本殿が。その雰囲気たるや、もう、すごうございました。
この大三島の海岸線のとある場所に車を停めて、今、にっこりを書きよります。ひょっこりひょうたん島を見ながら書きよります。今まで、このにっこりで、何度かマイひょっこりひょうたん島のの話を書きましたが、どうやらここから見えゆう無人島が、ホントのモデルらしいです。まさしくひょっこりひょうたん島。仕事のついでとは言え、ニッポンを色々巡るのは楽しいですな、まこと。