新堀川、桜井橋が、妙な工事を始めました〔1794〕2008/03/14
2008年3月14日(金)降ったり曇ったりしよります
こないだ、3月9日と10日のにっこりで、とあるコンビニチェーンのPOP(フライドチキンのやつです、これ)に、「売れちゅうきね!」と書いたがと「めちゃ、売れてます」と書いたががある、という話を書きました。昨日、同じチェーンのまた別のお店で確認したところ、そこはやっぱし「売れちゅうきね!」。けんど売り切れちょりませんでした。現在進行→売れゆう、現在完了→売れちゅう、過去完了→売れちょった、という土佐弁の文法を、キチンと勉強して頂かんといかんですな。
さて、ここは今朝の桜井町。左端に見えるがが新堀小学校で、正面が何やら工事をしゆう桜井橋。
こないだまで、ここを真っ直ぐ渡りよったがですが、工事中につき大きく蛇行しちょります。ここで気になったがは、「櫻井跡」の標識。実はですね、ここにはですね、1800年に、名奉行馬詰親音さんが掘らせた土佐で初めての揉貫き井戸があった場所で、藩政期後期の城下町を潤しました。その井戸の横っちょに桜の木があったそうで、「櫻井」と呼ばれるようになった訳ですな。桜井町は、その櫻井に由来しちゅ訳ですが、その櫻井があったがが、この写真の下部、道路に埋め込まれちゅう標識「櫻井跡」の場所。
この場所、2004年6月5日のにっこりでご紹介しちゅうのでバックナンバーからご覧になって頂いて見比べてもろうたら解りやすいがですけんど、橋に上っていく坂の途中、道路の真ん中にありました。今、このように仮設の歩道ができちょって、そのアスファルトの部分に顔を出しちょります。
この新堀川、ずっと以前に策定された道路計画の進行によって、間もなく道路によって塞がれようとしよります。この新堀川には自然が一杯ですし、歴史的なものも、それこそどっしこあります。地元では新堀を塞がんようにして歴史を後世に伝えよう、という運動が展開されよりますきに、この「櫻井跡」標識なんかの扱いも、こぢゃんとデリケートながでしょうな。地元を刺激せんようにせんといかん、という行政の立場が、このアスファルトに浮き出た標識に、よく表現されちゅうと感じました。
日本橋の上の首都高を、景観が悪いので取り払おう、ということが計画されたり、韓国では一旦道路で塞がれちょった川を、巨額の経費を投じて川に戻したりしゆうご時世。さてさて、よっく考えてみんといかんですね。街と歴史と文化と、そこで暮らすヒトのことを。