立春の天神大橋から鏡川を眺める〔1755〕2008/02/04
2008年2月4日(月)晴れ!
朝の内、ちくと雲もありましたが、その後は晴れ上がって春のようなお天気の高知市内です。今日は立春。昨日が節分、季節の節目で冬も終わり、今日から春を迎えるニッポン列島なんでございます。が、東京とかはかなり雪が降っちゅうみたいですね。昨日の高知はぬくかったので、全然気にしちょらんかったがですけんど、高知から瀬戸内の方へ行く高速道路、高知自動車道も雪で通行止めになっちょったそうです。山は雪やったがですね。高知も広いです、はい。
ここは今朝の天神大橋。間もなく夜明けを迎える鏡川は、灯りが川に映って美しゅうございます。
この天神大橋の南詰に潮江天満宮参道の入り口があり、天満宮へとつながっちゅうがですが、昨日は節分の日曜日ということで、かなり賑おうたことでしょう。お豆とかを販売しよった台が、今朝も残っちょりました。本殿の中には大きな輪っかが。節分を期して、男女それぞれの厄年の皆さんは厄除けをされます。その折に使用する大きな輪っか。紅白の布で巻かれちょります。この輪っかを、あの輪抜け様のお祭りと同じ要領で抜けると、厄を抜けて幸せな生活を送れるということですな。ニッポンの大切な風習です。
この天神大橋の由来、来歴については、このにっこりでは何度も幾度もびっしりぎっちり紹介してきました。天満宮の隣の、山内家菩提寺真如寺に、山内のお殿様がお参りするときに渡った橋で、真如寺橋と呼ばれよった時代が長いようです。防衛上の理由からも、藩政期、お城下を流れる鏡川に架けられちょった橋は天神橋だっけ。長宗我部の残党が各地に居残って不穏な空気の流れよった藩政期初期、この鏡川はこぢゃんと重要な防衛の役割を果たしちょったことでしょう。もし長宗我部残党が徒党を組んで高知城を攻めて来たら、山内勢は天神橋を渡って菩提寺のある筆山麓に避難して橋を落とし、時間を稼いだことでしょう。筆山から鷲尾連山方面へは山をたつくって行けます。筆山に籠もって戦い、もしもピンチとなったなら、尾根筋の山道を通って長浜方面へ。そして、海にでて海路避難する、という危機管理マニュアルになっちょったことが想像されます。いや、これもひまわり太郎の勝手な妄想ですが。最近、南嶺をたつくることが多いので、山を通ったら実は長浜や春野はちっかいということを体感しちゅうので、この妄想もまんざら大ハズレ、という訳でもなさそうな気がしゆう今日この頃です。